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法然上人行状絵

所在地
芝公園4‐7‐35

所有者
宗教法人増上寺

概 要
44巻 冷泉為恭筆 絵画 昭和59.10.15指定

公開状況
非公開

写真タイトル

第三段 竹馬戯遊の図

『知恩院日鑑』によれば、この増上寺副本は、為恭〈ためちか〉が天保15年(1844)7月から嘉永6年(1853)3月までの9年間を要して新たに模写したと伝え、増上寺に残る請書7通によって更にその事情を詳しく知ることができます。また、為恭自身が語るところ(京都蓮台寺蔵法然上人画像裏書)によると、この時彼は弟子2人を率い、同時に3本の四十八巻伝の模写を行ったといっています。すなわち、そのうちの1本が増上寺に伝えられる本図であり、他は知恩院に納められた1本と若狭酒井家旧蔵の1本です(注)。

筆者の冷泉為恭(1822‐64)は、京狩野の画系を継ぐ狩野永岳の弟伊勢守永泰の子で、はじめ狩野派の画法を学びましたが、自家の画風に飽き足らず、古社寺に所蔵される古画の模写に専心することによって大和絵古典の手法を独習しました。このようなひたむきな古典への傾倒は、絵画にとどまらず早くから王朝文学や有職故実の研究にも及んでおり、それらの各々に精通していたといわれています。一方、10代で自ら名を冷泉三郎為恭と称し、また、28〜9歳の頃、蔵人所衆岡田出羽守の養子となって、従六位下蔵人所衆に叙任され、以降岡田式部と名乗り、同家の家紋が梅花であることを理由に姓を菅原と改めました。本伝絵に附属する『法然上人行状絵目録』の奥書に「嘉永第六癸丑初春中浣□蔵人所衆正六位下行式部省大録菅原朝臣為恭謹写之」と長い署名をしたのも、為恭の王朝追慕のあらわれと考えられます。

一説に、若年に彼が模写した絵巻は、天保12年(1841)、浮田一けい〈うきたいっけい〉、原在明らとともに行った『春日験記』、同14年の『年中行事図巻』、あるいは『北野天神縁起』や『矢田寺本地蔵縁起』などおよそ90種におよぶと伝えられています。中でも、本『法然上人行状絵』48巻の模写は特筆に価します。

※「浮田一けい」の「けい」は「くさかんむり」に「恵」の旧字体

(注)このほか、さらにもう1本為恭の手元に置かれたという。現在香川県金刀比羅宮に所蔵される零本か。

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