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英一蝶筆釈迦如来画像(絹本着色)

所在地
高輪2‐8‐2

所有者
宗教法人承教寺

概 要
1幅 絵画 昭和63.10.26指定

法 量
縦102.8cm 横56.3cm

公開状況
非公開

本図の筆者は、図中の款記〈かんき〉(署名)「北窓翁一蝶謹画」によって、江戸時代に活躍した特異な風俗画家として知られる英一蝶〈はなぶさいっちょう〉(1652‐1724)であることがわかります。

英一蝶は、伊勢亀山藩の侍医であった多賀白庵の子として京都に生まれました。幼少の頃、一家とともに江戸に下り、画は狩野宗家の当主であった安信に学んだとされます。軽妙で洒脱な筆致により市民生活や都市風俗を描くことを得意としました。

幼名を猪三郎、のち次右衛門あるいは助之信と称し、諱(生前の本名)を信香、字は君受、剃髪して朝湖と号しました。ほかに翠蓑翁、牛麿(牛丸)、霞蕉、北窓翁、狩林閑人、虚白山人、隣涛庵などの画号を用いています。松尾芭蕉とその門人たちとも親しく交流し、俳号を暁雲、夕寥、また花街における通名を和応(和央)といったと伝えます。

元禄11年(1698)、不行跡が幕府の怒りにふれ、三宅島配流の身となり、約12年間の流人生活を送りましたが、宝永6年(1709)の大赦、江戸に戻りました。この時、画名を英一蝶と改めました。

本図は軽妙な筆致による風俗画を得意とした英一蝶の作品のなかで、数少ない仏画の遺例であり、いわゆる「清涼寺式釈迦像」の図像に準拠して描かれたものです。款記から、この画の制作は江戸に帰った宝永6年(1709)以降となり、また享保2年(1717)の風俗画廃業宣言後の彼の動向や画風の変化を考え合わせれば、最晩年に属する時期の作品と考えられます。

一蝶作の仏画としては、三宅島に配流されていた時代に、注文に応じて描いた作品が現在も同地に数点残るほか、ごくわずかです。これらはいずれも一蝶流の軽妙な筆致で描かれたものであり、必ずしも本格的な仏画とは言い難いものです。その意味でも本図は、一蝶研究上大変興味深い作品だといえます。

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