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伝真柄直基所用 野郎頭兜

所在地
白金台3‐2‐19

所有者
宗教法人瑞聖寺

概 要
歴史資料 平成9.10.14指定

法 量
鉢内前後径22.8cm 同左右径20.0cm 同深さ14.5cm 重量1.05kg

公開状況
非公開

織田信長・徳川家康軍が、浅井長政・朝倉義景軍を破った元亀元年(1570)6月27日の姉川合戦の折、徳川の臣、青木所右衛門一重〈かずしげ〉(1551‐1628、摂津麻田一万石の藩祖)は、朝倉の臣、真柄〈まがら〉某を討ち取りました。この事実は、織田の臣、太田牛一〈ぎゅういち〉の『信長公記〈しんちょうこうき〉』巻三に「討〈うち〉捕〈と〉る頚〈くび〉の注文〈ちゅうもん〉 真柄十郎左衛門 此の頚青木所無右衛門是〈これ〉を討とる」、徳川幕府が寛永年間に編纂した『寛永諸家系図伝』の青木一重の条に「元亀元年、姉川合戦に真柄十郎と鑓をあはせ、つゐに真柄を打とる。真柄ハ大力なり。是によりて名四方〈よも〉にきこゆ」とあります。なお江戸時代の史料には、討ち取った相手を真柄直隆〈なおたか〉(十郎左衛門)としたものと、その子直基〈なおもと〉(十郎三郎または十郎太郎)としたものがあり、通説では直基を討ったとされています。

この兜は青木一重が首級〈くびしろ〉とともに武功の証として持ち帰った真柄の着具と伝えられるもので、昭和39年(1964)に青木家から菩提寺の瑞聖寺に納められました。戦国から江戸時代に一部で流行した変わり兜の一種で、人頭を象〈かたど〉ったものです。

保存状態も良好で、修理の跡もほとんどありません。戦国時代の簡素軽快で実用的な兜が、後世の手の入らない当初の状態で残る例は稀です。これは青木家で丁重に扱った結果と考えられ、また、菩提寺に納められたことも意義深いといえます。戦国時代の伝来確実な実用品の遺例として武家習俗を伝える資料として貴重です。

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