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芝金杉の漁具

所在地
芝 5‐28‐4

所有者
港区教育委員会

概 要
109点 有形民俗文化財 平成4.10.28指定

写真タイトル

皮鉢

芝金杉の漁業の歴史は古く、その存在を伺うことのできる最古の資料は、天文23年(1554)7月12日付の「柴金曾木船持中」宛の北条氏康朱印状です。

徳川家康の江戸入府後、金杉浦と本芝浦の漁民が、初穂として鮮魚を献納したのが慣例となり、将軍家への御菜上納が、毎月6・13・21・27日の4回、この二浦から行われるようになりました。この御菜上納は、その後八ヶ浦となりましたが、金杉・本芝の二つの浦は、元浦と称し、御菜八ヶ浦の元締めの地位を占めていました。

他の漁村が農業との兼業であったのに対し、金杉・本芝の二浦は古くから純漁村で、正徳5年(1715)の記録では、両浦で245隻の漁船を有していました。内湾での漁具・漁法は多種多様ですが、中でも金杉・本芝の二浦は、延縄漁で他浦に抜きん出た存在でした。しかし、江戸湾には40余の漁村があり、狭い湾内では漁法の違いから起こる紛争や、乱獲による漁獲高の減少を招き、江戸末期以後、漁業は不振となり、次第に衰退へと向かっていきました。

明治初期に海苔と牡蠣養殖が推進され、一時的に不振から脱しましたが、昭和初期からの東京湾埋立工事の進捗により、再び衰退を余儀なくされ、昭和37年(1962)、ついに漁業権放棄という形で終息を迎えました。

芝金杉の漁業を伝える漁具は、港区の民俗資料として、また港区の産業史を知るための資料としても貴重です。

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