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旧岩崎邸庭園

所在地
六本木5‐11‐16

所有者
公益財団法人国際文化会館

概 要
約9,350平方メートル 名勝 平成17.10.25指定

公開状況
非公開

現在の国際文化会館の庭園の前身は、昭和4年(1929)に三菱の四代目当主岩崎小彌太(1879‐1945)が建設した岩崎家鳥居坂本邸の庭園で、京都の造園家「植治〈うえじ〉」の小川治兵衛の作庭によるものでした。「植治」の歴代当主小川治兵衛は数多くの庭園を作庭しており、中でも七代目は平安神宮や円山公園、旧古河庭園などを作庭したことで知られ、近代日本庭園作庭の先駆者として著名です。

本庭園は、崖に面した南側と鳥居坂に面した東側に植栽が施され、その内側に池を設けた池泉回遊式の日本庭園であり、入り口部の岩組なども優れています。また、昭和5年(1930)の「東京市麻布区鳥居坂町 岩崎邸実測平面図」と比較しても、作庭当初の姿を大筋において残していることがわかります。

岩崎邸は昭和20年5月の空襲で焼失し、その後、昭和30年には国際文化会館が建設されました。この建物は前川國男・吉村順三・坂倉準三の共同設計による戦後日本の優れた建築の一つですが、旧岩崎邸の庭園との調和を最大限に考慮する姿勢は特筆に値します。また、旧岩崎邸の庭内にあった庭石や燈籠、水鉢なども現存するものが少なくありません。これらは、国際文化会館の庭園が旧岩崎邸庭園を継承していることを具体的に示すものといえるでしょう。

なお、江戸時代のこの地には多度津藩京極家(1万石)の屋敷がありましたが、明治時代に入ると、井上馨の屋敷となりました。明治9年(1876)から14年にかけて作製された参謀本部陸軍部測量局『五千分ノ一東京図・測量原図』に見える「井上邸」には、南側と東側に植栽、その内側に池があるところから、旧岩崎邸の庭園は明治初期の井上馨邸の庭園の面影をある程度とどめている可能性も考えられます。

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