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中村草田男関連写真

中村草田男(なかむら・くさたお)

  • 生年
明治 34年(1901)
  • 没年
昭和 58年(1983)
  • 活躍年代
昭和
  • 職業
俳人
  • ゆかりの地
中村草田男の句碑
  • 現地名
南青山4-21-15・青南小学校地図を表示

  • キーワード
青南小学校


  • プロフィール
明治34-昭和58(1901-1983)。俳人。外交官の父の赴任先の中国・福建省で生まれ、3歳のときに帰国。昭和4年(1929)高浜虚子の門弟となり句作に励み、同人誌『ホトトギス』に作品を発表。その作風は人間探究派と呼ばれ、昭和初期の歌壇に大きな影響を与えました。昭和21年(1946)には俳誌『万緑』を創刊・主宰し、後進の指導にもあたりました。

  • 港区とのかかわり
青山の小学校での思い出が時代を象徴する名句に

草田男の代表句に「降る雪や明治は遠くなりにけり」がありますが、この句は昭和6年(1931)大学生だった草田男が母校・青南小学校を訪問した際に詠んだものです。昭和52年(1977)青南小創立70周年記念に、この句碑が正門内の校舎前庭に建立された際には、草田男自身の手により除幕されました。

父親の仕事の関係で中国、東京、松山と引っ越しを繰り返した草田男にとって、青南小は東京で最後に通った思い出深い小学校でした。「担任教員の菅沼新太郎は熱血漢で、怒るときは怒り、遊ぶときは一緒に相撲や野球を楽しんだ」と日記に書き残しています。

20年ぶりに母校を訪れた草田男はその変わらぬ佇まいに安堵しますが、雪が降り出すとともに校庭に金ボタンの外套を着た子どもたちが現れるのを見て、着物に下駄だった自分の頃との歳月の隔たりを感じ、自ずと吟じたのが句碑に記された句です。

◎参考文献
『コンサイス日本人名事典』(三省堂)
『東京10000歩ウォーキング』No.7(籠谷典子・編著/真珠書院)
『俳句シリーズ人と作品14中村草田男』(香西照雄/桜楓社)
『文学散歩東京』(冬至書房)

  • ウォーキング・ポイント
中村草田男の句碑(南青山4-21-15・青南小学校)

  • 著作
『子規、虚子、松山』(みすず書房)
『風船の使者 メルヘン集』(みすず書房)
『魚食ふ、飯食ふ』(みすず書房)
『俳句の作り方』(ポプラ社)
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  • 関連出版物
『わが父草田男』(中村弓子/みすず書房)
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