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ハリス記念碑 善福寺
ハリス関連写真
ハリス記念碑 善福寺

ハリス(Harris, Townsend)

  • 生年
文化 元年(1804)
  • 没年
明治 11年(1878)
  • 活躍年代
江戸
  • 職業
外交官
  • ゆかりの地
善福寺
  • 現地名
元麻布1-6-21地図を表示

  • キーワード
外国公使館 ヒュースケン


  • プロフィール
文化元-明治11(1804-1878)。アメリカの外交官。日米和親条約に基づき、安政3年(1856)初代駐日総領事として下田に着任。玉泉寺に日本初の領事館を置き、下田条約を締結。さらに江戸に上って幕府に通商開始を迫り、安政5年(1858)日米修好通商条約の調印に成功。列強に先駆けて幕府の鎖国政策を崩しました。後に公使に昇格し、江戸麻布善福寺を公使館としました。文久2年(1862)帰国、73歳で死去。

  • 港区とのかかわり
アメリカ公使として麻布の善福寺に3年間駐在

安政6年(1859)アメリカ最初の公使館となった麻布の善福寺に、通訳官のヒュースケンらとともに駐在しました。当初は奥書院や客殿を使っていましたが、水戸浪士の放火で書院が焼失したため、本堂や開山堂などへ移動。本堂をおもな居所とし、次の間を応接室に、外陣(げじん)の南縁側を食堂にしたと言われています。

現在の本堂は大阪の東本願寺別院を移築したものですが、境内には、この公使館で英語を学んだという三井合名会社理事長・益田孝らによって、ハリスのレリーフを刻んだ記念碑が建てられています。6年足らずの日本滞在中、ハリスにとって最も衝撃的だったのが、帰国前年に起きたヒュースケンの暗殺事件。亡くなったときは死体にとりすがって慟哭したといいます。

◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『港区史跡散歩』(俵元昭/学生社)
『江戸・東京歴史の散歩道3』(街と暮らし社)
『港区の歴史』(名著出版)

  • ウォーキング・ポイント
最初のアメリカ公使館跡(元麻布1-6-21・善福寺)

  • 著作
『ハリス 日本滞在記』上・中・下(坂田精一訳/岩波文庫)
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  • 関連出版物
『タウンゼント・ハリスと堀田正睦~日米友好関係史の一局面』(河村望/人間の科学社)
『タウンゼンド・ハリス~教育と外交にかけた生涯 』(中西道子/有隣堂)
『開国の使者~ハリスとヒュースケン』(宮永孝/雄松堂出版)
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  • 港郷土資料館収蔵資料
善福寺出張中日記

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