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みなと雑学BOX

明治の美人コンテスト?赤坂・新橋の芸妓が活躍

「新橋叶家 清香 東京百美人」小川一眞 博文館 提供:株式会社タイムロマン・絵葉書資料館
 日本で初めての美人コンテストは明治24年(1891)に行われた浅草稜雲閣の「百美人」コンテストだと言われています。この美人コンテストの参加者は一般女性ではなく、赤坂、新橋、吉原、向島などの花街の芸妓たちでした。浅草稜雲閣では彼女たちの写真を大判にして並べ、投票を行いました。展示写真は、不公平のないように、すべて写真家の小川一眞が同じ背景のもとで撮影したものを使いました。第1位となったのは、新橋芸妓のおすずでした。

 この9年後の明治33年(1900)に私製の絵葉書の使用が逓信省により認められるようになります。これを機に絵葉書への関心が高まり、後に日露戦争の戦時絵葉書の爆発的ブームもあって、絵葉書専門店は全国に広がっていきます。さまざまな絵葉書の中でも、美人絵葉書は人気のジャンルで、現在のグラビアアイドルのように、花街の芸妓が全国のスターになるという現象まで生まれました。

 赤坂の万龍はその代表的な一人です。『文芸倶楽部』という雑誌の美人コンテストで1位に選ばれ、美人絵葉書のモデルとしても絶大な人気を誇っていました。数え年で15歳、切れ長の二重瞼の丸顔の美人で、 “花柳界に縁がなくても美人絵葉書の万龍は知っている”と言われるほど、その名は日本中に知れわたりました。

 明治41年(1908)時事新報という新聞社が「良家の淑女写真コンテスト」と題した美人コンテストを開催しました。芸妓ではなく、一般女性を対象としているので、こちらを日本初の美人コンテストとする場合もあります。

 優勝したのは末松ヒロ子という学習院の女学生でした。このことが当時の院長であった乃木希典に知れることとなり、ヒロ子は退学の憂き目にあいます。「深窓の令嬢」という言葉もあるように、良家の子女が衆目にさらされるなどということは、あってはならないことでした。しかし、実は、このコンテストに応募したのは本人ではなく、義理の兄でした。そのためか、後に乃木はヒロ子の結婚相手を見つけ出し、仲人まで務めたと言います。
参考文献
『美人コンテスト百年史 芸妓の時代から美少女まで』(井上章一/新潮社)
『幕末明治美人帖』(ポーラ文化研究所編/新人物往来社)
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