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尾崎 紅葉
小説「金色夜叉」等で知られる日本文壇の雄。慶応3年(1867年)に芝の中門前二丁目で生まれ、育つ。墓所も港区の青山霊園。ペンネームの由来は芝公園内の紅葉館があった紅葉山から。紅葉館の跡地には東京タワーが建設された。(港区人物誌より)
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永井 荷風
小説「濹東綺譚」等で知られる文豪。明治43年(1910年)慶応義塾大学の文学部教授となり「三田文学」を創刊。大正9年(1920年)5月に旧麻布市兵衛町に転居。「偏奇館」と名付け愛したが、昭和20年(1945年)3月の東京大空襲によって焼失。「濹東綺譚」はこの期間に執筆された。(港区人物誌より)
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髙橋 是清
第20代内閣総理大臣、日本銀行総裁。安政元年(1854年)芝の増上寺中門前の料理茶屋「広瀬屋」で生まれる。明治35年(1902年)に赤坂表町に邸宅を新築し34年間暮らしたが、二・二六事件によりその生涯を閉じた。(港区人物誌より)
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斎藤 茂吉
精神科医であり、アララギ派の代表的歌人。明治36年(1903年)に青山脳病院が開設。明治38年(1905年)院長の次女輝子と入籍。明治40年(1907年)青山脳病院に移り住む。以降、昭和20年(1945年)に疎開するまでの38年間を青山で過ごした。(港区人物誌より)
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ジョサイア コンドル
明治政府のお雇い外国人として、明治10年(1877年)1月に来日した建築技術者・建築教育者。最初の8年間を旧麻布区麻布今井町の工部省の官舎で過ごす。明治37年(1904年)旧麻布区三河台町に自宅を建設し、大正9年(1920年)に亡くなるまで過ごした。彼の作品である鹿鳴館は、文明開化を象徴する洋風建築として知られる。(港区人物誌より)
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小田 清一
大正7年(1918年)東京市芝区役所に入区。第5代港区長として4期17年にわたり、区政の発展と区民生活の安定向上に尽力した。また、特別区長会会長として特別区の自治権拡充、特別区制度の改革と地方自治の発展向上に尽力した。(港区名誉区民より)
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中䑓 瑞真
日本で数少ない桐材の刳物を中心とした木工芸家として活躍し、昭和59年(1984年)重要無形文化財「木工芸」保持者(人間国宝)に認定、日本の伝統工芸の保持・伝承に尽力した。(港区名誉区民より)
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兼高 かおる
海外旅行が自由化される昭和39年(1964年)以前から世界各国を訪問し取材し、多様な情報を発信するなど、国民にとって海外を身近なものとし、日本の国際観光事業の発展に大きく貢献した。また、その経験を生かし、港区国際交流協会の会長を長年にわたり務めた。(港区名誉区民より)
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桂 由美
長年にわたり港区に活動の拠点を構え、日本のブライダルファッション界の第一人者として、港区から世界に向け、常にブライダルファッション文化の発信に尽力した。また、地域に根付いた少子化問題対策活動や産業振興活動などにも積極的に携わり、港区の文化の発展向上のみならず、地域産業の振興など、様々な分野に大きく貢献した。(港区名誉区民より)
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