ゆかりの建築
[文化施設]
蔦サロン(旧山田守邸)
昭和34年(1959)
専用住宅⇒画廊
山田守
戸田建設
鉄筋コンクリート造3階建
南青山5-11-20
建築家・山田守(1894?1966)の自邸。山田は大正9年(1920)に東京帝国大学を卒業すると同時に、建築家の堀口捨己(すてみ)や石本喜久治らと「分離派建築会」を結成します。分離派とは、過去の建築様式から分離し、新たな建築づくりを目指す建築デザイン運動グループの名称です。山田は昭和初期に逓信省営繕課技師として表現派の作風を発揮し、また戦後は山田守建築事務所を設立して、多くのモダニズム建築の名作を生み出しました。現在は1階を玄関ホールおよび事務室、2階をギャラリーとして活用しています。