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(C)リキエンタープライズ
力道山関連写真
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力道山(りきどうざん)

  • 生年
大正 13年(1924)
  • 没年
昭和 38年(1963)
  • 活躍年代
昭和
  • 職業
プロレスラー
  • ゆかりの地
リキ・アパート
  • キーワード
街頭テレビ プロレス


  • プロフィール
大正13-昭和38(1924-1963)。プロレスラー。昭和14年(1939)に大相撲の二所ノ関部屋に入門。関脇にまで昇進しましたが、昭和26年(1951)にプロレスに転向し、空手チョップで空前のプロレス・ブームを巻き起こしました。中でも昭和29年のシャープ兄弟との対戦は街頭テレビで中継され、日本中を熱狂させました。現在、遺族の方々の尽力により力道山記念館設立の動きもあります。

  • 港区とのかかわり
赤坂を“リキ王国”にすることを夢見て

力道山をプロレスの世界に引き込んだのは、プロレスラーのハロルド坂田でした。芝の水交社の練習場をのぞきにきた力道山は、すぐにプロレスの魅力にとりつかれ、プロレスラーへの道を歩み出します。アメリカから凱旋帰国した後には、プロレスをビジネスとして定着させるためのプロモーターとしても手腕を発揮しました。

力道山は格闘家としてだけではなく、実業家としての才覚も示しています。赤坂に8階建てのプール付きの豪華な「リキ・アパート」を建て、そこを拠点にホテル、ナイトクラブ、マンション経営などを展開し、赤坂を“リキ王国”にすることを夢見ていました。

戦後の復興の象徴であり、テレビ時代の新ヒーローであった力道山は、外国人レスラー、財界人、政治家、人気作家、芸能人など、つねに華やかな人々に囲まれていました。アメリカにあこがれていた力道山は、米軍相手の店の多かった六本木のレストランやバーを社交の場として好んで利用していました。

◎参考文献
『コンサイス日本人名事典』(三省堂)
『現代風俗史年表』(河出書房新社)
『RIKI 力道山』(東急エージェンシー力道山研究班編/東急エージェンシー)
『Numberベスト・セレクション1』(文藝春秋)

  • 関連出版物
『父・力道山 初めて明かす父の実像、父への愛』(百田光雄/小学館文庫)
『夫・力道山の慟哭』(双葉社/田中敬子)
『RIKI 力道山』(東急エージェンシー力道山研究班編/東急エージェンシー)
『もうひとりの力道山』(リ・スンイル・小学館)
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