池貝庄太郎(いけがい・しょうたろう)
明治2年(1869)
昭和9年(1934)
明治 大正 昭和
実業家
池貝鉄工所本社工場
本芝入横町
芝5-7付近

青山霊園 田中製造所
明治2-昭和9(1869-1934)。実業家。田中製造所(東芝の前身)で旋盤の修理改造技術を習得。明治22年(1889)池貝工場(後に池貝鉄工所、現・株式会社池貝)を創業し、同年に国産旋盤第1号機を製作しました。その後も、弟の喜四郎とともに池貝式標準旋盤をはじめとする工作機械、石油発動機などで事業を拡大。100以上の特許を取得し、日本の工作機械分野に先駆的な足跡を残しました。没後は息子の勝男が2代目庄太郎を襲名。
芝の小さな町工場から生まれた第1号の国産旋盤
芝浦の田中製造所から独立し、資金90円で始めた池貝工場は芝金杉川口町(現・芝4丁目)にありました。20歳の庄太郎、12歳の弟喜四郎、仕上げ師と車廻し(工作機械の動力)1人ずつのわずか4人だけのスタートでした。しかし、工場に備えられた英式旋盤を頼りに部品を作り、英式9フィート旋盤を2台作り上げたのです。各種機械を輸入に頼っていた時代において、初の国産旋盤の製作は画期的なことでした。この旋盤は昭和初期まで約40年間、多くの町工場で使用されていたとのことで、当時の工作機械としては高い水準にあったことがうかがえます。さらに芝田町三丁目(現・芝5丁目)に移転してからは国産石油エンジン第1号の製作に成功。事業も軌道に乗り、小さな町工場は明治期の日本を代表する工作機械メーカーとなりました。大正2年(1913)には本芝入横町に池貝鉄工所を設立。煉瓦造りのこの本社工場は、現在のNEC本社ビル(芝5?7?15)の東側にありました。
◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『事典近代日本の先駆者』(日外アソシエーツ)
池貝庄太郎の墓(南青山2-32-2・青山霊園)
『池貝鉄工所五十年史』(花房金吾編/ゆまに書房)
『技術と社会の関連を巡って 過去から未来を訪ねる 公開研究会・講演会:講演論文集』(日本機械学会)
