和泉屋市兵衛・4代目(いずみや・いちべえ)
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文政6年(1823)
江戸
版元
芝大神宮界隈
芝神明
芝大門1丁目付近

浮世絵 歌川豊国 甘泉堂 草双紙 版元
?-文政6(?-1823)。江戸の代表的な版元のひとつ「甘泉堂 和泉屋市兵衛」の4代目。「和泉屋市兵衛」(略称「泉市」)は17世紀末頃に仏教関連の書籍を扱う版元として出発し、4代目が家督を相続した頃から、浮世絵や草双紙などの庶民向けの娯楽出版物を出版・販売する地本問屋として活況を呈するようになったと考えられています。和泉屋市兵衛の名前は約200年にわたり、8代に引き継がれ、明治以降は「山中市兵衛」を名乗り、教科書、辞書類などを発行・販売しました。
歌川豊国を引き立てた芝の版元
和泉屋市兵衛は、現在の港区芝大門1丁目の芝神明宮(現・芝大神宮)のそばに店舗を構えていました。芝界隈は、神田・日本橋に次いで多くの地本問屋が集まる地域でした。この界隈は、江戸の中心部に近く、東海道に近接するという地理的条件も手伝って、劇場や寄席、飲食店が立ち並ぶ江戸有数の盛り場でした。娯楽品や江戸土産として錦絵や草双紙を製造・販売するのにも好都合な場所だったのです。
4代目和泉屋市兵衛が頭角を現してくるのは、寛政年間(1789-1801)頃です。人気の作者と浮世絵師による草双紙、錦絵、色摺りの豪華な絵本などを刊行し、地本問屋として力をつけていきました。寛政6年(1794)正月、当時まだ新人の浮世絵師だった歌川豊国(初代:芝神明三島町出身)を起用して「役者舞台之姿絵」というシリーズものを版行。このシリーズは大当たりして、寛政8年頃まで続きました。初代豊国はこれが出世作となり、人気絵師として不動の地位を得て、晩年まで活躍。また門下から国貞(三代豊国)や国芳といった次代の主要な浮世絵師を輩出しました。
和泉屋市兵衛の墓所は、芝公園の花岳院(かがくいん)にあります(非公開)。
◎参考文献
『平成18年度特別展UKIYO-E名所と版元』港区立港郷土資料館
芝大神宮(芝大門1-12-7)