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「粟津合戦 今井四郎打死之図」(歌川芳員)嘉永5年(1852)7月  所蔵:港郷土資料館
今井兼平関連写真
「粟津合戦 今井四郎打死之図」(歌川芳員)嘉永5年(1852)7月 所蔵:港郷土資料館

今井兼平(いまい・かねひら)

  • 生年
仁平2年(1152)
  • 没年
元暦1年(1184)
  • 活躍年代
平安
  • 職業
武士
  • ゆかりの地
今井城跡
  • キーワード
赤坂氷川神社 源義仲


  • プロフィール
仁平2-元暦1(1152-1184)。武士。源(木曾)義仲の家臣で乳兄弟にあたります。木曾四天王の一人として、治承4年(1180)の義仲の挙兵に従い各地を転戦。寿永2年(1183)には平盛俊を破って功を成し、以後も平氏討伐の先頭に立ちました。しかし、後に主君の義仲が味方であった源頼朝と敵対し、元暦1年(1184)に宇治川の戦いで敗北。逃れた先の近江粟津で義仲に自害をすすめ、自らは討ち死にしました。

  • 港区とのかかわり
今井兼平の伝承が麻布今井町の起源

江戸期、今井兼平の居城があった周辺一帯を今井村と言ったと伝えられています。江戸以前は今井村の範囲は広大で、赤坂溜池、虎ノ門、芝西久保、六本木、青山などに及んでいました。しかし、承応3年に今井村の田畑が幕府に召し抱えられることになり、その代わりに与えられることになったのが牟礼(現・三鷹)の地でした。代替地があまりにも遠いので、村民は移転をいやがり、今井町一帯に集中しました。それが今井町、今井寺町、今井三谷町の起源となっています。なお、赤坂氷川神社内には城の遺構は存在せず、今井城の信憑性は薄いとされています。

◎参考文献
『コンサイス日本人名事典』(三省堂)
『東京の地名由来事典』(竹内誠編/東京堂出版)