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束髪の栄龍  所蔵:(株)タイムロマン・絵葉書資料館
栄龍関連写真
束髪の栄龍 所蔵:(株)タイムロマン・絵葉書資料館

栄龍(えいりゅう)

  • 生年
明治29年(1896)
  • 没年
?(0)
  • 活躍年代
明治 大正
  • 職業
芸妓
  • ゆかりの地
新橋花街
  • 旧地名
木挽町7丁目
  • 現地名
新橋1丁目付近地図を表示

  • キーワード
ハイカラ 元禄模様ブーム 新橋第一次七人組


  • プロフィール
明治29-?(1896-?)。新橋芸妓。名古屋生まれ。2代目栄龍、本名は伊藤りの。明治43年(1910)正月に菊三升(きく・みます)から14歳でお披露目し、評判の名妓として人気を博します。日露戦争後、三越が仕掛けた元禄模様ブームが起こりますが、その際にモデルとして活躍。雑誌はもとより、写真集『全国新百美人』にも掲載され、絵葉書が飛ぶように売れました。しかし腸チフスを患って以後、表舞台から姿を消しました。

  • 港区とのかかわり
彗星のごとく登場し、人気を集めた大正時代の新橋芸妓

ハイカラファッションが大流行した明治後期から大正前期、最先端の装いに身を包んだ新橋や赤坂の芸妓たちは庶民の憧れの的で、ブロマイド版画や絵葉書が大量に出回りました。中でも人気が高かったのが、三越をはじめ関口洋品店や桃谷順天館などのモデルとして活躍していた新橋の2代目栄龍で、「栄龍のハイカラ姿6枚綴り」なども売り出されました。豪商や紳士の後援で生まれた一流の美妓集団「新橋第一次七人組」の1人だった初代栄龍の跡を継ぎ、七人組の老松とともに名妓の座を獲得。私生活では俳優の河合武雄と浮名を流し、一躍時の人となりました。しかし幕引きには謎めいた部分も多く、当時の雑誌には「入院してしまったので栄龍がこの世界に戻ってくることはありません」と書かれています。のちに新橋の質屋の女将になったという説もあります。ちなみに、戦前の溝口健二監督作品『残菊物語』では伏見信子が芸妓栄龍役を演じました。

◎参考文献
『幕末・明治美人帖』(ポーラ文化研究所編/新人物往来社)
『図説 東京流行生活』(新田太郎・田中裕二・小山周子著/河出書房新社)