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江川英龍自画像。所蔵:江川家
江川太郎左衛門関連写真
江川英龍自画像。所蔵:江川家

江川太郎左衛門(えがわ・たろうざえもん)

  • 生年
享和元年(1801)
  • 没年
安政2年(1855)
  • 活躍年代
江戸
  • 職業
兵学者 民政家
  • ゆかりの地
第三台場
  • 現地名
台場1-10-1地図を表示

  • キーワード
台場 調練場 パン祖


  • プロフィール
享和元-安政2(1801-1855)。兵学者・民政家。代々の伊豆国韮山代官。就任当時から民情に通じ、二宮尊徳の意見を聞くなど誠実な仕事ぶりで「世直し江川大明神」と呼ばれました。海防に目覚め、渡辺華山に砲術を、高島秋帆(たかしま・しゅうはん)に西洋砲術を学んで教授を務めました。洋学嫌いの鳥居燿三(とりい・ようぞう)に疎まれ、蛮社の獄で失脚しかかりますが、水野忠邦に助けられ、後に幕閣に抜擢されて6つの台場を完成させました。また韮山に鋳造場や反射炉を築いて、大砲や銃砲の鋳造を行うなど、生涯海防のために尽くしました。江川英竜(ひでたつ)とも言います。

  • 港区とのかかわり
海防が生んだお台場と乾パン

台場とは砲台を据えた人工島のことです。侵入する外国艦船に向けて砲撃することが目的でした。太郎左衛門は11の台場を計画し、品川の御殿山や泉岳寺前の山を切り崩した土と伊豆や安房から運ばせた石を使って6つの台場を完成させました。しかし、日米和親条約が結ばれたことから建設は中止になりました。今は港区の第三台場が台場公園として、第六台場は特に手を加えずに保存され、鳥たちの聖域として残っています。また、兵隊の携行食糧にと高島秋帆の門人に教えを受けて乾パンを焼いたので、全国パン協議会は太郎左衛門を日本の「パン祖」としています。太郎左衛門亡き後、その遺志を継いだ息子の英敏は芝に大小砲習練場を設けました。今の浜松駅北側にあり、江川氏調練場として明治維新まで続きました。

◎参考文献
『国史大辞典』(吉川弘文館)
『幕臣たちと技術立国江川英竜・中島三郎助・榎本武揚が追った夢』(佐々木譲/集英社新書)

  • ウォーキング・ポイント
第三台場/台場公園(台場1-10-1)
江川氏調練場跡(海岸1-1)

  • 関連出版物
『洋学史研究序説 洋学と封建権力』(佐藤昌介/岩波書店)
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