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小川一眞関連写真

小川一眞(おがわ・かずまさ)

  • 生年
万延元年(1860)
  • 没年
昭和4年(1929)
  • 活躍年代
明治 大正
  • 職業
写真家
  • ゆかりの地
小川一眞の本邸
  • 旧地名
宮村町
  • 現地名
元麻布3丁目付近地図を表示

  • キーワード
青山霊園 玉潤館 コロタイプ印刷


  • プロフィール
万延元-昭和4(1860-1929)。写真家。武蔵国忍(現・埼玉県行田市)生まれ。米ボストンで写真術や印刷術を学んだ後、明治18年(1885)東京麹町に写真館「玉潤館(ぎょくじゅんかん)」を開業。宮内省の臨時全国宝物取調局による古社寺宝物の撮影に従事。明治22年(1889)岡倉天心らの美術雑誌『国華』の創刊に協力し、コロタイプ印刷による写真図版を作り上げました。指導者、感光材料研究家としても活躍。英国王立写真協会会員。写真家初の帝室技芸員。

  • 港区とのかかわり
麻布に居を構えて活躍した写真・印刷界のパイオニア

14歳で初めて写真術を知り、築地大学校(元ヘボン塾、現・明治学院)を経て、第一線で活躍する東京の写真師らと交流。それを契機に生涯の大半を写真への情熱に傾けます。『東京百美人帖』『日露戦役写真帖』など、人物から景勝地、ドキュメンタリーまで貴重な写真を数多く撮影。1000円札に描かれた夏目漱石も一眞が撮影した写真がもとになっています。また写真師の地位を向上させるとともに、コロタイプ印刷の普及、乾板の国産化に尽力。その功績は今も高く評価されています。私生活では麻布区宮村町に本邸を、同区霞町(現・西麻布)に別邸を構え、芝に居住していた板垣退助の三女婉子と再々婚。別邸はおもに接待用で、園遊会形式による玉潤館の創業25周年祝賀会もここで華やかに行われました。70歳で永眠した一眞の葬儀は東京青山斎場で執り行われ、青山霊園にある墓石の傍らには地蔵菩薩と過去碑、墓域内の一角には胸像が据えられています。

◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『写真界の先覚 小川一眞の生涯』(小澤清/日本図書刊行会)

  • ウォーキング・ポイント
小川一眞の墓と胸像(南青山2-32-2 青山霊園)

  • 著作
『写真・今世紀の法隆寺 小川一眞から入江泰吉まで』(小学館)
『明治後期産業発達史資料』第730巻(龍溪書舎)
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  • 関連出版物
『写真に帰れ 伊奈信男写真論集』(伊奈信男著・大嶋洋編/平凡社)
『田本研造と明治の写真家たち』(岩波書店)
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