小林多喜二(こばやし・たきじ)
明治36年(1903)
昭和8年(1933)
大正 昭和
作家
称名寺
麻布東町
南麻布1-6-31

日本共産党 プロレタリア作家
明治36-昭和8(1903-1933)。作家。秋田県出身。小樽高商(現小樽商大)卒。在学中より創作活動を始め志賀直哉を敬愛。北海道拓殖銀行時代、労働運動、社会主義思想に傾倒し、『蟹工船』『不在地主』でプロレタリア作家として認められます。同銀行を解雇されて上京後、日本プロレタリア作家同盟の書記長を務め、日本共産党に入党。非合法活動中の昭和8年(1933)2月20日に逮捕され、同日築地署で拷問により殺されました。
麻布十番周辺で地下活動を続けたプロレタリア作家
プロレタリア文学の追求は、同時に特高(特別高等警察)から追われることを意味していました。昭和7年(1932)文化団体への大弾圧を機に、多喜二は地下活動に入ります。潜伏先は麻布十番から六本木にかけて。麻布区東町(現・南麻布1丁目)の称名寺内にあった小さな家の1室で新妻伊藤ふじ子と暮らし始め、次に麻布区新網町へ移ります。当時十番通り沿いにあった青果店「ヤマナカヤ」の喫茶室は、母セキ、弟三吾と最後に密会したところです。3番目のアジトは麻布区桜田町(現・西麻布3丁目)の一軒家でしたが捜査の手が入り、ふじ子も勤務先で検挙されたため渋谷区に移りました。その1か月後、赤坂福吉町の連絡場所で逮捕され、非業の死を遂げます。地下生活の体験を元に執筆した「党生活者」は、『中央公論』が「転換時代」の仮題で遺作として発表。多喜二と親交があった志賀直哉も、『文化集団』創刊号に多喜二宛て書簡2通と母セキへの弔文を掲載しました。
◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『コンサイス日本人名事典』(三省堂)
『蟹工船・不在地主』(新日本出版社)
『一九二八年三月十五日 日本プロレタリア作家叢書』(戦旗社)
『工場細胞』(ほるぷ出版)
『ザ・多喜二』(第三書館)

『小林多喜二伝』(倉田稔/論創社)
『小林多喜二の人と文学』(布野栄一/翰林書房)
『青春の小林多喜二』(土井大助/光和堂)
『よみがえれ小林多喜二 詩とエッセー』(土井大助/白樺文学館多喜二ライブラリー)
