小林秀雄(こばやし・ひでお)
明治35年(1902)
昭和58年(1983)
昭和
評論家
白金小学校
芝白金今里町
白金台1-4-26
青山二郎 白金小学校 文化勲章
明治35-昭和58(1902-1983)。評論家。千代田区猿楽町に生まれました。第一高等学校在学中に友人で詩人の富永太郎からもらったボードレールの『悪の華』を耽読し、強い影響を受けます。東京帝国大学フランス文学科時代にはフランスの詩人ランボーに傾倒します。昭和4年(1929)に「様々なる意匠」を発表し、本格的な近代批評のジャンルを開拓。「無常という事」、「モオツァルト」「近代絵画」「ゴッホの手紙」「本居宣長」など、対象を文学作品に限定することなく、批評文学の可能性を追求し続けました。
麻布の青山二郎宅で文学者たちと交流を深める
大正4年(1915)13歳のときに神田から白金今里町に転居。同年3月に白金尋常小学校を卒業し、東京府立第一中学校に入学します。同町の生活は、関東大震災の翌年、大正13年(1924)22歳のときに家を売却するまで続きます。その後は一家で杉並の馬橋に転居。その年に英文学者の石丸重治から美術評論家の青山二郎を紹介され、麻布一の橋の青山宅にしばしば集うようになり、詩人の中原中也、文芸評論家の河上徹太郎、詩人の三好達治、作家の大岡昇平など文学仲間と交流を深めました。小林は後に青山に触発されて骨董に親しみます。
昭和2年(1927)秋に河上徹太郎の家に近い芝区白金台町に数か月住んだことがありましたが、昭和6年以降は鎌倉で暮らしました。昭和42年(1967)文化勲章を受章。昭和58年(1983)腎不全で死去し、葬儀は青山葬儀場で行われました。
◎参考文献
『文芸読本小林秀雄』(河出書房新社)
『日本の作家14小林秀雄』(小学館)
『モオツァルト・無常ということ』(新潮文庫)
『Xへの手紙・私小説論』(新潮文庫)
『ゴッホの手紙』(角川文庫)
『本居宣長 上下』(新潮文庫)
『兄小林秀雄との対話』(高見沢潤子/講談社)
『詩神と宿命 小林秀雄論』(北川透/小沢書店)
『小林秀雄をこえて』(柄谷行人・中上健次 河出書房新社)
『いまはむかし』(中村光夫/講談社)