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所蔵:玉里島津家
島津重豪関連写真
所蔵:玉里島津家

島津重豪(しまづ・しげひで)

  • 生年
延享2年(1745)
  • 没年
天保4年(1833)
  • 活躍年代
江戸
  • 職業
大名
  • ゆかりの地
高輪藩邸跡
  • 旧地名
高輪南町
  • 現地名
高輪 3-13-1地図を表示

  • キーワード
シーボルト 調所広郷 『成形図説』 蓬山館 蘭癖大名


  • プロフィール
延享2-天保4(1745-1833)。島津家第25代藩主。蘭学など西洋の新知識の吸収に熱心なため蘭癖大名(らんぺきだいみょう)の代表のように言われ、書籍の編纂を大々的に行った上に11代将軍家斉の岳父として交際に出費を重ねたことで、藩の財政を悪化させました。家督を譲った斉宣(なりのぶ)とその家臣が徹底した緊縮政策をとったことに激怒、斉宣を隠居させ、家臣を罰する「近思録崩れ」と呼ばれる騒動も起こしました。しかし、調所広郷(ずしょ・ひろさと)を登用して借財を一気に片づけ、藩の実権を握り続けました。

  • 港区とのかかわり
高輪の蓬山館に西洋風の庭園を設ける

大名は江戸に上屋敷、中屋敷、下屋敷など多くの屋敷を拝領していました。政務を行う上屋敷、家族の住む中屋敷に対して、下屋敷はいわば別荘で、よく庭園が設けられました。重豪は高輪の下屋敷(今の新高輪プリンスホテルのあたり)に蓬山館という西洋風の建物と庭園を設けて、さまざまな植物を栽培し、外国産の珍しい鳥を飼っていました。『琉球産物志』や『成形図説(せいけいずせつ)』を編纂させ、藩校である造士館などの施設を建設させた重豪は隠居しても壮健そのもので知識欲も衰えませんでした。84歳の重豪に会ったシーボルトが「元気なことに驚いた。重豪公は私に動物や鳥を剥製にする方法を聞いた」と書いているくらいです。高輪藩邸で没したのは89歳のときでした。

◎参考文献
『国史大辞典』(吉川弘文館)
『首都江戸の誕生』(大石学/角川書店)
『江戸大名100話』(小和田哲男監修/立風書房)
『東洋文庫87江戸参府紀行』(シーボルト著、斎藤信訳/平凡社)
『嘉永・慶応 江戸切絵図』(人文社)

  • ウォーキング・ポイント
薩摩藩高輪藩邸跡(高輪 3-13-1)

  • 著作
『東洋文庫87 江戸参府紀行』(シーボルト著、斎藤信訳/平凡社)
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  • 関連出版物
『島津重豪 人物叢書新装版』(芳即正/吉川弘文館)
『薩摩藩主島津重豪 近代日本形成の基礎過程』(松井正人/本邦書籍)
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