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高見順関連写真

高見順(たかみ・じゅん)

  • 生年
明治40年(1907)
  • 没年
昭和40年(1965)
  • 活躍年代
昭和
  • 職業
作家 詩人
  • ゆかりの地
東町小学校
  • 旧地名
麻布東町
  • 現地名
南麻布1-8-11地図を表示

  • キーワード
治安維持法 プロレタリア作家


  • プロフィール
明治40-昭和40(1907-1965)。作家、詩人。福井県出身。本名高間芳雄。中学時代から白樺派に惹かれ、東京帝国大学に進むと左翼芸術同盟に参加し、機関誌『左翼芸術』などに作品を発表。大学卒業後は、コロムビア・レコード会社に勤務しながら、プロレタリア作家として活動しますが、昭和7年(1932)治安維持法違反の容疑で検挙され、転向を余儀なくされます。昭和10年“饒舌体”と呼ばれる手法で「故旧忘れ得べき」を著わし、第一回芥川賞候補となります。晩年は、昭和という時代を描く「激流」「いやな感じ」「大いなる手の影」の連作を構想し、執筆にとりかかりましたが、昭和40年(1965)58歳で亡くなりました。

  • 港区とのかかわり
麻布を転々とした貧しい幼年時代

高見順は、福井県知事で永井荷風の叔父に当たる阪本さん之助(さんのすけ、'さん'の漢字表記は'金'偏に'彡'となります。)の私生児として生まれました。父の東京転任の後を追って、明治41年(1908)祖母と母とともに上京、麻布に暮らします。6歳になると麻布区東町小学校に入学。母は裁縫の内職で生計を立てていましたが、生活は大変苦しく、小学校時代に麻布区内を東町、竹谷町、新堀町と転々とします。母親には幼年時代から「政治家になり、父親を見返すように」としつけられますが、結局、母親の思惑とは異なり、東京帝国大学文学部英文科に進みました。

高見順が暮らしていたのは、麻布のお屋敷町のはざまにある粗末な長屋であり、いやでも階級を意識させられる境遇でした。実父に存在を無視され、私生児として半生を過ごした辛い体験を、「私に於ける暗い出生の翳について」というエッセイに綴っています。

葬儀は川端康成を葬儀委員長として青山斎場で行われました。現在、東町小学校には高見順文庫があります。

◎参考文献
『筑摩現代文学大系第52巻高見順』(筑摩書店)
『高見順全集』(勁草書房)

  • 著作
『如何なる星のもとに』(角川文庫)
『いやな感じ』(文春文庫)
『死の淵より』(講談社文芸文庫)
『高見順日記』(勁草書房)
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  • 関連出版物
『高見順』(奥野健男/国文社)
『高見順論 魂の粉飾決算』(坂本満津夫/東京新聞出版局)
『高見順 現代詩読本13』(思潮社)
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