徳川家宣(とくがわ・いえのぶ)
寛文2年(1662)
正徳2年(1712)
江戸
将軍
増上寺
増上寺
芝公園4-7-36

新井白石 正徳の治 増上寺
寛文2-正徳2(1662-1712)。6代将軍。甲府宰相徳川綱重の子。綱豊(つなとよ)として甲府徳川家25万石を受け継ぎ、さらに叔父の5代将軍綱吉に子どもがなかったため養子として6代将軍を継ぎました。側用人の間部詮房(まなべ・あきふさ)や儒者の新井白石を用いて生類憐みの令を廃止するなど、後に「正徳の治」と呼ばれる王道政治を行いました。初めに家臣の子として育てられたので下々の事情に明るく、また、新井白石に大名の歴史書『藩翰譜(はんかんふ)』を編纂させるなど、学問好きの将軍としても知られました。
かつて増上寺に壮麗な霊廟・御霊屋が
家宣は業半ばにして亡くなり、遺言で増上寺に葬られました。増上寺は上野の寛永寺とともに徳川家の菩提寺として知られ、2代秀忠(台徳院)、6代家宣(文昭院)、7代家継(有章院)、9代家重(惇信院)、12代家慶(慎徳院)、14代家茂(昭徳院)の6人の将軍が眠っています。壮麗な霊廟・御霊屋(おたまや)は、かつて永井荷風が随筆「霊廟」の中で「荘重美麗」と評したほど素晴らしい建物群でしたが、昭和20年(1945)3月10日と5月25日の空襲でほぼ焼失しました。昭和33年(1958)から改葬に伴って墓所の発掘調査が行われましたが、保存状態が良く髭が確認されました。体は華奢で、顔立ちは貴族的で美男子だったと言います。
◎参考文献
『国史大辞典』吉川弘文館
『永井荷風随筆集(上)』(永井荷風著、野口富士男編/岩波文庫)
『骨は語る徳川将軍・大名家の人びと』(鈴木尚/東京大学出版会)
増上寺(芝公園4-7-36)
『正徳の治 徳川家宣の生涯』(森谷宜暉/高文堂出版社)
『徳川将軍列伝』(北島正元編/秋田書店)
『増上寺徳川将軍墓とその遺品、遺体』(鈴木尚・矢島泰介・山辺知行共著/東京大学出版会)
