徳川家茂(とくがわ・いえもち)
弘化3年(1846)
慶応2年(1866)
江戸
将軍
増上寺
増上寺
芝公園4-7-37

公武合体 増上寺 第二次長州征伐
弘化3-慶応2(1846-1866)。14代将軍。紀州家に生まれ、初め慶福(よしとみ)と名乗りましたが、13代将軍家定の世継ぎとなり家茂と改めて将軍職に就きました。安政の大獄を断行した井伊直弼(いい・なおすけ)が倒れ、あとを受けた久世広周(くぜ・ひろちか)や安藤信正(あんどう・のぶまさ)ら幕閣は公武合体を期して、家茂への皇女和宮降嫁を実行しました。やがて、家茂は第二次長州征伐に赴きますが、すでに薩長同盟が結ばれており、幕府の弱体化を見てとり、協力しない藩も多く、幕府軍は総崩れとなりました。
辞表を出した前代未聞の将軍
慶喜を将軍に推す水戸家の徳川斉興(なりおき)らの勢力を退けて、井伊直弼に推された家茂は13歳で将軍職に就きました。和宮を京都から迎えたときは17歳、そのやさしい性格で和宮を慰め、仲睦まじく暮らしたと言います。しかし、諸藩が幕府に協力しないために第二次長州征伐に失敗するなど20歳の将軍は苦難の道をたどります。さらに、兵庫開港をめぐって攘夷を振りかざす朝廷の命令で、阿部正外(あべ・まさと)、松前崇広(まつまえ・たかひろ)の二老中を罷免されるという職権侵害の事態に衝撃を受け、朝廷に将軍職を辞する辞表を提出するという前代未聞の事態となりました。辞表は受理されなかったものの、家茂の心労は極度に高まり21歳で没してしまいました。
◎参考文献
『国史大事典』(吉川弘文館)
『徳川将軍百話』(中江克己著河出書房新社)
『骨は語る徳川将軍と大名家の人びと』(鈴木尚/東京大学出版会)
『増上寺徳川将軍墓とその遺品、遺体』(鈴木尚・矢島恭介・山辺知行共著/東京大学出版会)
増上寺(芝公園4-7-36)
『徳川十五代史』(内藤耻叟著 新人物往来社)
『別冊太陽 徳川十五代』(平凡社)
