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国立国会図書館HPより(転載の場合は国立国会図書館の許諾が必要)
原 敬関連写真
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原 敬(はら・たかし)

  • 生年
安政3年(1856)
  • 没年
大正10年(1921)
  • 活躍年代
明治 大正
  • 職業
政治家
  • ゆかりの地
原敬の自邸
  • 旧地名
芝公園
  • 現地名
芝公園7-4地図を表示

  • キーワード
三縁亭 平民宰相 立憲政友会


  • プロフィール
安政3-大正10(1856-1921)。政治家。陸奥盛岡出身。司法省法学校中退。陸奥宗光らに認められて外務次官、駐朝鮮公使を歴任。42歳で大阪毎日新聞社社長に就任。立憲政友会の結成に参画、のち総裁。衆議院議員に8回連続当選。大正7年(1918)年総理大臣として政党内閣を組織、陸軍・海軍・外務の3大臣以外はすべて政友会党員で構成。1921(大正10)年 11月4日東京駅頭で中岡艮一(なかおか・こんいち)に暗殺されました。享年65歳。

  • 港区とのかかわり
芝公園で暮らした“平民宰相”

明治から大正にかけて、三田芝界隈には原敬をはじめ松方正義や桂太郎の私邸があり、さながら宰相街といった風情でした。原は芝公園内の私邸をベースに政財界で活躍。伊藤博文を中心に結成され、原によって育て上げられた立憲政友会の本部もまた、芝公園内にありました。首相になると従来の藩閥、官僚、貴族院の勢力を排して政友会内閣を組織。爵位をもたない衆議院議員が首相になったのは初めてで、世間からは「平民宰相」と呼ばれ親しまれました。しかし、その3年後、原は凶刃に倒れることになります。東京駅に駆けつけた浅夫人は、遺骸を官邸に運ぼうとするのを拒み「もう官邸に用のない人ですから宅へ送り届けたいと思います。これは主人の志でもあり、私もそれを望みます」といって私邸に移させたと言います。この浅夫人とは芝公園にあった西洋料理の三縁亭(さんえんてい)で知り合ったと言われています。

◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『鬼謀の宰相 原敬』(中村晃/勉誠社)

  • 著作
『原敬日記1~6巻』(原奎一郎編/福村出版)
『原敬の句帖』(大慈会)
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  • 関連出版物
『ふだん着の原敬』(原奎一郎/毎日新聞社)
『評伝原敬 上下』(山本四郎/東京創元社)
『小泉純一郎と原敬 構造改革を歴史に学ぶ』(水野芳宣/中公新書ラクレ)
『原敬転換期の構想 国際社会と日本』(川田稔/未来社)
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