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榎本健一(えのもと・けんいち)

  • 生年
明治 37年(1904)
  • 没年
昭和 45年(1970)
  • 活躍年代
昭和
  • 職業
喜劇役者
  • ゆかりの地
榎本健一の墓
  • 現地名
西麻布2-21-34・大本山永平寺別院長谷寺地図を表示

  • キーワード
喜劇役者


  • プロフィール
明治37-昭和45(1904-1970)。喜劇役者。昭和4年(1929)、浅草の劇団「カジノ・フォーリー」の旗揚げに参加し、小柄な体で動き回り、独特の愛敬と確かな演技力で「エノケン」ブームを巻き起こしました。昭和9年(1934)には映画「エノケンの青春酔虎伝」に出演し、全国的な人気者に。映画、舞台と大活躍し、日本喜劇界の中心人物になりました。晩年には右足を切断するという不運に遭いますが、昭和38年(1963)に新宿コマ劇場で義足をつけてカムバックを果たしています。

  • 港区とのかかわり
幼少時代は麻布で評判のいたずら小僧

青山5丁目で鞄屋を営んでいた榎本平作の長男として誕生。商売が思わしくなかったため平作は麻布霞町で「武蔵野せんべい」を開業し、これが大当たり。麻布十番にせんべい工場を造っています。健一も麻布十番に引っ越しますが、実母・しょうを幼い頃に失った寂しさを紛らわすためか、大変ないたずら小僧ぶりで、笄(こうがい)、南山、麻布尋常高等小学校と転校を繰り返しました。

小柄ながらすばしっこく、運動神経に優れていて、喜劇役者としての軽やかな身のこなしは麻布で過ごした少年時代に素地があったとも言われています。この頃は「二十日ネズミの健ちゃん」「エノケンちゃん」などと呼ばれていました。平作の死後、浅草に出て「喜劇王」と称されるほどの人気者になりました。お墓は榎本家の菩提寺である西麻布の長谷寺(ちょうこくじ)にあり、墓碑には「従五位勲四等喜劇王エノケンここに眠る」と記されています。

◎参考文献
『コンサイス人名辞典』(三省堂)
『日本映画人名事典』(キネマ旬報社)
『喜劇こそわが命』(榎本健一/栄光出版社)

  • ウォーキング・ポイント
榎本健一の墓(西麻布2-21-34・大本山永平寺別院長谷寺)

  • 著作
『喜劇こそわが命』(榎本健一/栄光出版社)
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  • 関連出版物
『日本の喜劇人』(中原弓彦/晶文社)
『エノケン・ロッパの時代』(矢野誠一/岩波新書)
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