森永太一郎(もりなが・たいちろう)
慶応元年(1865)
昭和12年(1937)
明治 大正 昭和
実業家
森永西洋菓子製造所
溜池町
赤坂1から2丁目付近

青山霊園 クリスチャン 森永製菓
慶応元-昭和12(1865-1937)。実業家。肥前伊万里(現・佐賀県)出身。幼少期に父と死別、母と離別し、親戚の家を転々とします。横浜の陶磁器商に勤め、23歳で渡米してキリスト教に入信。2度目の渡米で菓子製造技術を学び、明治32年(1899)赤坂に森永西洋菓子製造所を創業。後に森永製菓と改称し、ミルクキャラメルを大ヒットさせ、日本で初めてチョコレートをカカオ豆から一環製造しました。引退後は伝道に尽くし、73歳で亡くなりました。
「菓子づくりこそ天職」の信念のもと、赤坂溜池で創業
渡米時に見知らぬ婦人からもらった一粒のキャンディー。それが太一郎の運命を大きく変えました。約10年のアメリカ修業を終えると、市街地のはずれにあった赤坂溜池で2坪程度の森永西洋菓子製造所を始めます。翌年表通りの赤坂田町に移ると、各国の公使夫人たちの間で火がつき、その評判は新聞広告などによって全国の一般大衆へと拡大しました。さらに信仰を同じくする松崎半三郎(後の2代目社長)を支配人に迎え入れ、森永商店、森永製菓へと発展させました。森永のエンゼルマークは、太一郎が当時よく作っていたマシュマロが「エンゼルフード」と呼ばれることにヒントを得て考案したものです。また関東大震災の際には、芝公園で大量の菓子類を避難者に配り、自らも被災地で救済作業の先頭に立ちました。青山学院の礼拝堂で行われた葬儀には彼の遺徳をしのび、多くの人々が参列しました。
◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『事典近代日本の先駆者』(日外アソシエーツ)
『菓子づくりに愛をこめて』(若山三郎作・木川秀雄絵/PHP研究所)
森永太一郎の墓(南青山2-32-2・青山霊園)
『菓子づくりに愛をこめて』(若山三郎作・木川秀雄絵/PHP研究所)
『20世紀日本の経済人 2』(日本経済新聞社編/日経ビジネス人文庫)
『創業者は何を教えたか』(梶原一明他著/経済界)
『日本の商人 第8巻』(徳山二郎概説/ティビーエス・ブリタニカ)
