嶺南崇六(れいなん・すうろく)
天正11年(1583)
寛永20年(1643)
江戸
僧侶
東禅寺
下高輪町
高輪3-16-16

イギリス公使館 東禅寺 霊南坂
天正11-寛永20(1583-1643)。臨済宗の僧。日向飫肥(ひゅうがおび、現宮崎県日南市)出身。定山祖慧(じょうざん・そけい)について京都・奈良で教学を修め、妙心寺山内の大心院の芳沢祖恩(よしざわ・そおん)に僧侶となることを認められます。日向飫肥藩主・伊東祐慶(すけのり)が江戸に東禅寺を建立すると、開山に迎えられました。また関ヶ原の戦いに従軍するなど、徳川家康や秀忠の軍学師範としても活躍。寛永年間の初めに妙心寺に昇住しました。妙心寺117世、諡号(しごう)は大天法鑑禅師。
霊南坂の坂名は東禅寺を開山した嶺南和尚に由来
臨済宗妙心寺派に属する東禅寺は、慶長15年(1610)嶺南和尚が伊東祐慶の帰依を受け、溜池付近の邸宅をもとにして開きました。当初は嶺南庵と呼ばれ、アメリカ大使館からホテルオークラまで伸びる霊南坂の由縁となりました。のちに幕府用地となり、寛永13年(1636)現在地に移転。山内にはかつて興聖(こうしょう)、松寿(しょうじゅ)などの諸院が建ち並んでいましたが、明治以後に火災などで焼失し、その荘厳な景観は失われました。しかし今も、伊東祐慶をはじめとする諸大名の見事な墓群を見ることができます。また幕末にはイギリス公使館にあてられ、初代公使オールコックが駐在しましたが、水戸藩尊攘派浪士らによる襲撃事件として知られる東禅寺事件が起こります。イギリス公使館として使用された奥書院は保存され、山門前には宿館跡の碑も残されています。
◎参考文献
『日本 仏教人名辞典』(法藏館)
『日本仏教史辞典』(吉川弘文館)
『港区史跡散歩』(俵元昭/学生社)
東禅寺(高輪3-16-16)
霊南坂(赤坂1丁目と虎ノ門2丁目の境界)
『増補 妙心寺史』(川上孤山著・荻須純道補述/思文閣出版)
