このページの先頭です 写真資料へ移動 キーワードデータへ移動 プロフィールへ移動 港区とのかかわりへ移動 ウォーキングポイントへ移動 著作へ移動 関連出版物へ移動 港郷土資料館収蔵資料へ移動 末尾メニューへ移動



(下)霊南坂の自邸 提供:三沢浩
レーモンド関連写真
(下)霊南坂の自邸 提供:三沢浩
レーモンド関連写真
(下)霊南坂の自邸 提供:三沢浩

レーモンド(Raymond,Antonin)

  • 生年
明治21年(1888)
  • 没年
昭和51年(1976)
  • 活躍年代
大正 昭和
  • 職業
建築家
  • ゆかりの地
笄町の事務所兼自邸
  • 旧地名
麻布笄町4番地
  • 現地名
西麻布3-3付近地図を表示

  • キーワード
カニングハム 三田平凡寺 モダニズム建築 霊南坂


  • プロフィール
明治21-昭和51(1888-1976)。建築家。チェコスロバキア生まれ。プラハ工科大学卒。大正8年(1919)旧帝国ホテル建築の際、F・L・ライトの設計助手として来日。そのまま日本に留まり独立。国際情勢の悪化で帰国しますが、戦後再来日してモダニズム建築の作品を多く残しました。代表品は聖路加国際病院、東京女子大学の9つの建造物、リーダーズ・ダイジェスト東京支社など。米国で死去。

  • 港区とのかかわり
各国の大使公邸から著名人の邸宅まで幾多の作品を残す

レーモンドは戦前、戦後の44年間を日本で過ごし、日本古来の建築とモダニズム建築を融合させて、簡素ながら豊かな空間を作り上げました。港区に現存する主な建築は、アメリカ大使公邸、カナダ大使館、聖心女子学院初等科校舎、聖オルバン教会などで、一般邸宅も残されています。昭和6年(1931)建造のアメリカ大使公邸はマゴニグルとの共同設計で、昭和天皇とマッカーサーが会見した場所として有名です。聖心女子学院は初等科校舎の2・3階部分が聖堂になっており、帝国ホテルの建築で用いた有機的模様が使われました。音楽家カニングハム女史が暮らしたカニングハム・メモリアル・ハウスも彼の作品です。自身も戦前は霊南坂の家(現・赤坂1丁目)に住み、戦後は麻布笄(こうがい)町(現・西麻布)の高台の住宅地に自邸と事務所を構えましたが、いずれも今はありません。なお蒐集家の三田平凡寺と交流があったことでも知られています。

◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『A・レーモンドの住宅物語』(三沢 浩/建築資料研究社)

  • 著作
『私と日本建築』(三沢 浩訳/鹿島研究所出版会)
『自伝アントニン・レーモンド』(三沢 浩訳/鹿島研究所出版会)
『現代日本建築家全集. 1 アントニン・レーモンド』(栗田 勇監/三一書房)
著作を検索

  • 関連出版物
『アントニン・レーモンドの建築』(三沢 浩/鹿島出版会)
『A.レーモンドの建築詳細』(三沢 浩/彰国社)
『前川國男現代との対話』(松隈洋編/六耀社)
関連出版物を検索

  • ゆかり+