渡辺綱(わたなべのつな)
天暦7年(953)
万寿2年(1025)
平安
武士
綱坂
三田綱町
三田2-5

源頼光
天暦7-万寿2(953-1025)。平安中期の武士。源頼光の郎党で坂田公時(さかたのきんとき)らとともに四天王と称された平安中期の豪傑。父・源宛(みなもと・あたか)は嵯峨源氏の流れをくみ、関東の武蔵守でした。父の死後、攝津に移り、養母の居所にちなんで渡辺を名乗ったと言われています。頼光に従って酒呑童子や鬼同丸を退治した説話や、京都一条戻り橋で鬼の腕を切った説話で知られています。
伝承により三田綱町の由来となる
三田綱町は渡辺綱の出生の地であると伝えられています。二の橋近くの当光寺が出生の寺とされ、イタリア大使館脇の坂は「綱坂」、三田1丁目と2丁目の境は「綱の手引坂」と呼ばれています。しかし、豪傑として知られた渡辺綱にまつわる古跡は全国に散在しており、三田綱町もそのような伝承の地の一つであると、現在では考えられています。『江戸名所図会』の「三田」の項では、「この地を渡辺綱の旧跡とするのは誤り」としていますし、それ以前にも『武江紀聞』には、綱の旧跡は三田ではなく箕田(みた)、武蔵の国足立郡箕田(現・埼玉県鴻巣市箕田)であると記されています。
◎参考文献
『東京の地名由来辞典』(竹内誠編/東京堂出版)
『江戸東京坂道物語』(朝倉毅彦/文芸社)
綱坂(三田2-5)
綱の手引坂(三田1丁目と2丁目の境)