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所蔵:長福寺
大久保彦左衛門関連写真
所蔵:長福寺

大久保彦左衛門(おおくぼ・ひこざえもん)

  • 生年
永禄 3年(1560)
  • 没年
寛永 16年(1639)
  • 活躍年代
江戸
  • 職業
武士
  • ゆかりの地
立行寺
  • 旧地名
白金村
  • 現地名
白金2-2-6地図を表示

  • キーワード
講談 八芳園


  • プロフィール
永禄3-寛永16(1560-1639)。江戸時代前期の武士。大久保忠員(ただかず)の8男で、名は忠雄、のち忠教(ただたか)。彦左衛門は通称。徳川家康に仕えて戦功をたて、幕府の重臣として徳川秀忠・家光を助けました。また反骨と奇行で知られ、講談では「天下の御意見番」として親しまれました。

  • 港区とのかかわり
白金・立行寺の創建に尽力した天下の御意見番

白金にある立行寺は、寛永8年(1631)彦左衛門によって麻布市兵衛町に創建され、寛文8年(1668)現在地に移転しました。彦左衛門の墓があることから大久保寺とも呼ばれています。また、結婚式場としても知られる「八芳園」の地は余生を過ごしたところで、庭園には家光より直々に下賜されたといわれる山茱萸(さんしゅゆ)の木が今も残されています。

世間から将軍御意見番といわれ、戦国生き残りの硬骨漢ぶりを発揮する一方、粗衣粗食に甘んじ、常に大勢の浪人たちを養っては禄につかせた義侠の士でした。大たらいに乗って登城したなど、数多くの逸話が伝えられますが、講談などによって誇張されたこともあり真偽は定かではありません。

◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『学研新世紀ビジュアル大百科事典』(学習研究社/CD)
『港区史跡散歩』(学生社)

  • ウォーキング・ポイント
立行寺(白金2-2-6)
八芳園(白金1-1-1)

  • 著作
『三河物語 上・下』(小林賢章訳/教育社新書)
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  • 関連出版物
『大久保彦左衛門』(津本陽/光文社)
『怪傑!大久保彦左衛門』(百瀬明治/集英社新書)
『マンガ日本の古典 三河物語』(安彦良和/中公文庫)
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