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所蔵:大倉集古館
大倉喜八郎関連写真
所蔵:大倉集古館

大倉喜八郎(おおくら・きはちろう)

  • 生年
天保 8年(1837)
  • 没年
昭和 3年(1928)
  • 活躍年代
明治 大正
  • 職業
実業家 蒐集家
  • ゆかりの地
大倉集古館
  • 現地名
虎ノ門2-10-3地図を表示

  • キーワード
ホテルオークラ


  • プロフィール
天保8-昭和3(1837-1928)。実業家。蒐集家。大倉財閥の創設者。18歳で故郷の新潟を離れ、江戸で鉄砲店を開業、戊辰戦争で新政府軍に武器を売り巨利を得ました。明治6年(1873)大倉組商会を創業し、大正に入って財閥機構を確立。東京電灯、帝国ホテルなど多数の会社の設立や経営に関与したほか、東京経済大学を創設するなど文化的事業にも貢献しました。ホテルオークラ創始者の大倉喜七郎は長男。

  • 港区とのかかわり
日本初の私立美術館「大倉集古館」を虎ノ門に創設

一代で財を成し、虎ノ門で暮らした喜八郎は、東洋古美術のコレクターでもありました。貴重な美術品の海外流出を危惧し、収集した数多くの文化財と土地・建物・基金を寄付、大正6年(1917)日本初となる私立美術館「大倉集古館」を創設しました。敷地約1万平方メートルに5棟の建物を有していましたが関東大震災で損傷。現在、ホテルオークラに隣接する「大倉集古館」は昭和3年(1928)、築地本願寺の設計などで知られる伊東忠太の設計により再建されたもので、国の登録文化財に指定されています。収蔵品は「木造普賢菩薩騎象像」などの国宝をはじめ、東洋の絵画・彫刻などが2000点、漢籍は3万5千冊あまりにも及びます。

私財は教育の場にも投じられました。明治33年(1900)当時の赤坂葵町、今の「ホテルオークラ」隣接地に東京経済大学の前身となる大倉商業学校を創立。西洋諸国と並ぶ商業の知識・道徳を備える人材の育成に寄与しました。

◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『港区史跡散歩』(学生社)

  • ウォーキング・ポイント
大倉集古館(虎ノ門2-10-3)

  • 著作
『やがてなりたき男一匹 大倉喜八郎狂歌集』(新潟日報事業社)
『致富の鍵 創業者を読む』(大和出版)
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  • 関連出版物
『大倉喜八郎の豪快なる生涯』(砂川幸雄/草思社)
『鯰~元祖“成り金”大倉喜八郎の混沌たる一生』(大倉雄二/文藝春秋)
『逆光家族~父・大倉喜八郎と私』(大倉雄二/文藝春秋)
『野性のひとびと~大倉喜八郎から松永安左衛門まで』(城山三郎/文春文庫)
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