岡見京子(おかみ・けいこ)
安政 6年(1859)
昭和 16年(1941)
明治
医師
頌栄女学校
白金台町
白金台2-26-5

看護婦 高木兼寛 東京慈恵会医科大学
安政6-昭和16(1859-1941)。医師。青森県出身。横浜共立女学校を卒業後、英語教師として桜井女学校に奉職。25歳のときに絵画教師の岡見千吉郎と結婚して渡米、ペンシルベニア女子医科大学で学び、女性としては日本初の医学博士となりました。
女性初の医学博士として赤坂の自宅で医院を開業
京子と夫千吉郎はともにキリスト教徒という縁から結婚しました。熱心なクリスチャンだった千吉郎の兄清致(きよむね)は、台町教会(現・高輪教会)創立に尽力し、白金台の頌栄女子学院の前身である頌栄女学校を設立した人物です。留学を終えて帰国した京子は、高木兼寛からの誘いで慈恵病院(現・東京慈恵会医科大学)に勤め、その後、赤坂溜池の自宅で開業。閉院後は頌栄女学校の教頭として再び教壇に立ちました。
そんな折、女性の病前病後のための保養所衛生園の計画が持ち上がり、知人ツルー夫人の協力のもと、明治30年(1897)赤坂病院の分院として「赤坂病院分院衛生園」を開園しました(場所は赤坂ではなく、東京府豊多摩)。園長として園内に看護学校を設け、看護婦の養成にあたる一方、派遣看護婦制度を始めます。しかし、利用者のほとんどは外国の婦人宣教師らに限られていたため、9年後に閉鎖されました。乳がんを患って家庭に入った後は、信仰と農耕・園芸の静かな生活を送っています。
◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『日本女性人名辞典』(日本図書センター)
『女たちの約束~M・T・ツルーと日本最初の看護婦学校』(亀山美知子/人文書院)
