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(下)岡本一家。青山高樹町の自宅で(昭和3年) 提供:川崎市岡本太郎美術館
岡本かの子関連写真
(下)岡本一家。青山高樹町の自宅で(昭和3年) 提供:川崎市岡本太郎美術館
岡本かの子関連写真
(下)岡本一家。青山高樹町の自宅で(昭和3年) 提供:川崎市岡本太郎美術館

岡本かの子(おかもと・かのこ)

  • 生年
明治 22年(1889)
  • 没年
昭和 14年(1939)
  • 活躍年代
大正 昭和
  • 職業
歌人 作家
  • ゆかりの地
岡本かの子誕生地
  • 旧地名
青山南町
  • 現地名
南青山2-23-5地図を表示

  • キーワード
岡本一平 岡本太郎


  • プロフィール
明治22-昭和14(1889-1939)。歌人、作家、仏教研究家。岡本太郎の母。『明星』『スバル』に作品を発表し、短歌の才能を開花させました。明治43年(1910)画家の岡本一平と結婚、翌年太郎を出産しますが、生家の没落や夫婦間の葛藤などで悩み、仏教の世界に入りました。昭和4年(1929)一家でパリに渡り、帰国して芥川龍之介をモデルにした『鶴は病みき』で文壇デビュー。その後も『母子叙情』『老妓抄』などの佳作を次々と発表しましたが、活躍の最中に脳溢血で倒れ、49歳の生涯を閉じました。

  • 港区とのかかわり
青山の家で、幼い太郎との日々を育む

神奈川県川崎市の旧家・大貫家の長女として、赤坂区青山南町(現・南青山2丁目)にある別邸で生まれました。一平と結婚し太郎を出産した後、赤坂区青山北町(現・北青山)のアトリエ付き二階家に転居。後年、『なま身の母』と題する太郎のエッセイに「幼い頃、朝日新聞社に勤めていた父は夜中にしか帰らなかったので、母と子は青山の家で世間から隔絶されたように、ほとんど一日じゅう二人だけで、孤独に身を寄せあって暮らしていた。(略)障子をしめきったうす明るい部屋で、母は庭に向かって机に坐し、ひっそりと短冊や色紙に筆を走らせている。こちらが話しかけても相手にしてくれない。三つか四つ、子供の私が独り遊びにあきて騒ぎたてたり、母の背中にとびついたりすると、兵児帯で胴を縛って、柱か箪笥の環にゆわえつけて、母はまた机に向かってしまう」と、当時の家での様子が綴られています。

◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『先駆者たちの肖像--明日を拓いた女性たち』(ドメス出版)
『一平 かの子--心に生きる凄い父母』(岡本太郎/チクマ秀版社)

  • ウォーキング・ポイント
岡本かの子誕生地(南青山2-23-5)

  • 著作
『老妓抄』(新潮文庫)
『巴里祭・河明り』(講談社文芸文庫)
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  • 関連出版物
『かの子繚乱』(瀬戸内晴美/講談社文庫)
『母の手紙』(岡本太郎/チクマ秀版社)
『かの子の記』(岡本一平/チクマ秀版社)
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