尾崎紅葉(おざき・こうよう)
慶応 3年(1867)
明治 36年(1903)
明治
作家
尾崎紅葉生誕の地
芝中門前
芝大門2-7

紅葉館 『金色夜叉』 増上寺
慶応3-明治36(1867-1903)。作家。明治18年(1885)山田美妙らと日本近代文学史上初の結社となる「硯友社」を結成し、同人誌の『我楽多文庫』を発行。その後『二人比丘尼色懺悔』(ににんびくにいろざんげ)によって認められ、東京帝国大学在学中に小説記者として読売新聞に入社しました。『金色夜叉』『多情多恨』など数多くの人気作品を発表しますが、明治36年に35歳の若さで世を去りました。
紅葉山を愛し、「紅葉館」で文豪たちとの交友を深める
芝中門前で生まれましたが、4歳のときに母が永眠、芝神明町の祖父母のもとに預けられました。明治13年(1880)芝神明の梅泉小学校を卒業し、そのまま東京府第二中学校(現・日比谷高校)に進みましたが2年後に中退。明治16年からは芝区愛宕町にあった三田英学校に通います。芝で幼少を過ごしたことに誇りをもち、ペンネームは増上寺の紅葉山にちなんで「紅葉」としました。
明治期、芝公園内の紅葉山には会員制の高級料亭「紅葉館」がありました。創立者の1人が読売新聞初代社長の子安峻だったことから、読売新聞の祝宴の場として利用されることが多く、それがきっかけとなって尾崎紅葉を筆頭に硯友社の文士たちが出入りするようになりました。紅葉館は尾崎紅葉の死後も文豪たちの出会いの場でしたが、昭和の東京大空襲のときに焼失し、跡地には東京タワーが建てられました。
◎参考文献
『コンサイス日本人名事典』(三省堂)
『江戸東京学事典』(三省堂)
『尾崎紅葉』(港区教育委員会)
尾崎紅葉生誕の地(芝大門2-7)
尾崎紅葉の墓(南青山2-32-2・青山霊園)
『金色夜叉』(新潮文庫)
『多情多恨』(岩波文庫)
『伽羅枕』(岩波文庫)

『女物語を読み直す/尾崎紅葉』(小平麻衣子/日本放送出版協会)
『尾崎紅葉』(坪内祐三/筑摩書房)
『料亭東京芝・紅葉館』(池野藤兵衛/砂書房)
『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』(坪内祐三/マガジンハウス)

岡本一平「紅葉山人像」