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片山東熊関連写真

片山東熊(かたやま・とうくま)

  • 生年
安政 元年(1855)
  • 没年
大正 6年(1917)
  • 活躍年代
明治 大正
  • 職業
建築家
  • ゆかりの地
東宮御所
  • 旧地名
赤坂離宮
  • 現地名
元赤坂2-1-1・迎賓館地図を表示

  • キーワード
宮廷建築 旧竹田宮邸 迎賓館 コンドル


  • プロフィール
安政元-大正6(1855-1917)。建築家。イギリス人建築家コンドルに師事、辰野金吾や曾禰達蔵らと並ぶ工部大学校(現・東大工学部)造家学科の第1回卒業生。工部省などを経て、明治19年(1886)宮内省に移り、皇室関係の建築を多く手がけました。代表作は東宮御所(のちの赤坂離宮、現・迎賓館)、重要文化財の奈良国立博物館や京都国立博物館など。

  • 港区とのかかわり
東宮御所を手がけた宮廷建築のパイオニア

工部省時代、師コンドルによる有栖川宮邸の建設に参加。室内装飾の調達のため渡欧し、各国の宮廷建築を視察した東熊は、帰国後、奈良国立博物館などの設計を担当するようになります。

設計者としての本領が発揮されたのは、明治32年(1899)に着工し、10年後に完成した東宮御所でした。外観はネオ・バロック様式、内部はロココ調でともに装飾性が強く、明治日本の洋風建築技術の総決算といわれています。東熊にとっても威信をかけた大事業でしたが、明治天皇から「贅沢すぎる」といわれたことは誤算だったに違いありません。戦後は国会図書館などに使われましたが、昭和40年代に村野藤吾の手で迎賓館として復旧改装されました。

また旧竹田宮邸の洋館は、今は高輪プリンスホテルの貴賓館として広く利用されています。自身は赤坂区丹後町(現・赤坂4丁目)で暮らし、遺骸は青山霊園に葬られました。

◎参考資料
『日本人名大辞典』(講談社)
『港区史跡散歩』(学生社)
『江戸・東京 歴史の散歩道3 港区・品川区・大田区・目黒区』(街と暮らし社)

  • ウォーキング・ポイント
迎賓館(元赤坂2-1-1)
高輪プリンスホテル貴賓館(高輪3-13-1)
片山東熊の墓(南青山2-32-2・青山霊園)

  • 関連出版物
『迎賓館・赤坂離宮』(渡辺義雄/毎日新聞社)
『洋館を訪ねる』(妹尾高裕/青春出版社)
『明治の洋館100選~今見ておきたい、全国に残る名建築』(鈴木博之/講談社)
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