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勝 海舟関連写真
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勝 海舟(かつ・かいしゅう)

  • 生年
文政 6年(1823)
  • 没年
明治 32年(1899)
  • 活躍年代
江戸 明治
  • 職業
政治家
  • ゆかりの地
西郷隆盛・勝海舟会見の地
  • 旧地名
芝田町
  • 現地名
芝5-33-11地図を表示

  • キーワード
無血開城 薩摩藩屋敷


  • プロフィール
文政6-明治32(1823-1899)。政治家。長崎の海軍伝習所で航海術を習得し、安政7年(1860)には咸臨丸(かんりんまる)の艦長として、日本人初の太平洋横断に成功しました。明治元年(1868)官軍が江戸に迫ると、早期停戦と江戸城の無血開城を主張。官軍側の西郷隆盛との交渉に単身で臨み、江戸市中を戦火から救いました。維新後は海軍卿兼参議、その後伯爵、枢密顧問官となり、朝敵とされた慶喜の赦免や旧幕臣の生活救済にも力を尽くしました。

  • 港区とのかかわり
高輪の薩摩藩屋敷で西郷隆盛と会見

海舟は天保14年(1843)赤坂溜池の黒田藩邸の蘭学者・永井青崖に弟子入りし、弘化3年(1846)それまで住んでいた本所から赤坂田町に転居。嘉永3年(1850)には赤坂田町中通りで蘭学塾を開きました。その後、安政6-明治元年(1859-1868)には現在の赤坂6丁目に住んでいます。

江戸城総攻撃直前の慶応4年(1868)3月13日、高輪の薩摩藩下屋敷で西郷隆盛と面会、翌14日に田町の薩摩藩屋敷で最終決断が下され、歴史的な無血開城が実現したともいわれています。維新後は静岡県に移り住みますが、明治5年(1872)赤坂氷川町に転居。晩年はこの地で多くの来客を迎えつつ過ごしました。

◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)

  • ウォーキング・ポイント
西郷隆盛・勝海舟会見の地(芝5-33-11)
勝海舟邸跡(赤坂6-10-39)
勝安房邸跡(赤坂6-6-14)

  • 著作
『海舟座談』(岩波文庫)
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  • 関連出版物
『氷川清話』(江藤淳・松浦玲/講談社学術文庫)
『海舟語録』(江藤淳・松浦玲/講談社学術文庫)
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  • 港郷土資料館収蔵資料
「西郷・勝会談図」、「短冊」、「吹塵録」、「富嶽之図千山萬峰云々之賛」、「勝海舟墨片」、「画賛」、「肖像写真」(井関盛艮コレクション)