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神近市子関連写真

神近市子(かみちか・いちこ)

  • 生年
明治 21年(1888)
  • 没年
昭和 56年(1981)
  • 活躍年代
大正 昭和
  • 職業
女性運動家 政治家
  • ゆかりの地
港区各所
  • キーワード
大杉栄 社会主義思想


  • プロフィール
明治21-昭和56(1888-1981)。女性運動家、政治家。女子英学塾(現・津田塾大)在学中に平塚らいてうの青鞜社に参加、東京日日新聞(現・毎日新聞)では婦人記者として活躍。大正5年(1916)恋愛関係のもつれから大杉栄を刺し、2年服役。その後、文筆・評論活動で身を立て、戦後は女性解放運動などに従事。また衆議院議員として売春防止法の成立に貢献しました。

  • 港区とのかかわり
仕事に恋に活動に、波乱万丈に時代を生きた“新しい女”

引越し道楽だった神近は長崎から上京後、さまざまな土地で暮らしました。ことに人生の方向性を決定づけたともいえる20-30代にかけては港区で過ごしています。有楽町にあった東京日日新聞社に入社当時は芝田村町に住み、社会部記者として著名人の取材に奔走していました。その一方で社会主義思想に接近し、アナーキスト大杉栄の仏蘭西文学研究会に参加して小説や評論を発表。大杉との恋愛関係が始まったのは、麻布霞町に転居してからのことです。

まもなくして、自由恋愛を唱える大杉、その妻堀保子、社会運動家伊藤野枝との多角関係に悩み、大杉を刺して重傷を負わせるという、いわゆる葉山の日蔭茶屋事件を起こし、世間を驚かせました。大正8年(1919)に出獄後は文筆生活に入り翌年結婚、青山学院裏門から少し下ったところに新居を構え3児をもうけますが、のちに離婚。戦後は新橋に本部のあった社会党から衆議院議員に当選、81歳で引退するまで4期を務めました。

◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『日本女性人名辞典』(日本図書センター)
『神近市子自伝 わが愛わが闘い』(講談社)

  • 著作
『神近市子 神近市子自伝』(日本図書センター)
『私の半世紀 伝記・神近市子』(大空社)
『神近市子自伝 わが愛わが闘い』(講談社)
『女性思想史 愛と革命を生きた女たち』(亜紀書房)
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  • 関連出版物
『プロメテウス~神近市子とその周辺』(杉山秀子/新樹社)
『フェミニズム繚乱 冬の時代への烽火』(永畑道子編・尾形明子編/社会評論社)
『トルキスタンへの旅』(タイクマン著・神近市子訳/岩波新書)
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