観世寿夫(かんぜ・ひさお)
大正 14年(1925)
昭和 53年(1978)
昭和
能楽師
銕仙会能楽研修所
南青山4-21-29

銕仙会 能楽
大正14-昭和53(1925-1978)。能楽師(観世流シテ方)。7世観世銕之丞(てつのじょう)の長男。父および祖父観世華雪に師事、4歳で初舞台、19歳で『道成寺』初演。昭和37年(1962)フランス政府招聘日仏演劇交換第1回留学生として渡仏、名優ジャン・ルイ・バローと交流を深め海外公演を展開。能を現代演劇としてよみがえらせるなど、能楽界の新旗手として内外で活躍しました。『野宮(ののみや)』で芸術祭優秀賞受賞。
南青山の銕仙会を拠点に国際的に活躍した演劇人
幼少時より天才とうたわれ、14歳で慶應義塾普通部を中退、本格的に能楽の世界へ入ります。活動拠点は南青山にある、観世銕之丞家を中心とした演能団体「銕仙会(てっせんかい)」でした。古典の継承と現代への再生を模索し、世阿弥伝書研究会や前衛的な演劇活動に参加。そののち能楽師と新劇人で「冥(めい)の会」を結成し、『オイディプース王』『ゴドーを待ちながら』などを演じました。
また昭和28年(1953)弟の観世栄夫・静夫らと、野村万之丞・万作兄弟を中心とする「華の会」を結成。来日したジャン・ルイ・バローとデアトル・ド・オルセー一行のために銕仙会舞台で『半蔀(はしとみ)』を舞い、自らも留学生として渡仏。こうした交流は東西演劇の懸け橋となり、国際的にも能楽の価値を高めることとなりました。銕仙会では寿夫没後もその主張に基づき、現代に生きる演能活動を続けています。
◎参考文献
『朝日人物事典』(朝日新聞社)
『20世紀日本人名事典』(日外アソシエーツ)
『心より心に伝ふる花』(白水社)
銕仙会能楽研修所(南青山4-21-29)
『能面』(平凡社)
『観世寿夫 世阿弥を読む』(荻原達子編/平凡社)
『心より心に伝ふる花』(白水社)

『幽玄~観世寿夫の世界』(渡辺守章編/リブロポート)
『観世寿夫 至花の風姿』(銕仙会編/平凡社)
