後藤新平(ごとう・しんぺい)
安政 4年(1857)
昭和 4年(1929)
明治 大正
政治家
後藤新平邸
麻布桜田町
元麻布3-4

青山霊園 北里柴三郎 伝染病研究所
安政4-昭和4(1857-1929)。政治家。医学を志し、明治15年(1882)名古屋の愛知県病院長時代には、岐阜で暴漢に襲われた板垣退助を、管轄外で許可が要るにもかかわらず往診したという逸話があります。その後内務省衛生局長を経て明治31年(1898)台湾総督府民政長官、明治39年南満州鉄道初代総裁。大正9年(1920)には東京市長となり、大正12年第2次山本内閣の内務大臣兼帝都復興院総裁として、関東大震災後の東京の復興計画を指導しました。晩年はボーイスカウト活動にも情熱を注ぎました。
芝公園内に「伝染病研究所」を設立
明治16年(1883)和子夫人と結婚後まもなく芝区城山町に移り、その後も麻布材木町、麻布東町、麻布桜田町と港区内に居住しました。内務省衛生局長時代の明治25年(1892)、地元の反対を押し切って芝公園内に北里柴三郎を所長とする「伝染病研究所」を設立。伝染病の予防・治療の研究を進めました。また大正14年(1925)ラジオ放送開始の際には、東京放送局(後のNHK)総裁として愛宕山の放送局から放送開始の挨拶をしたことでも知られています。
昭和4年(1929)71歳で永眠。青山霊園の夫人の墓所の隣りに埋葬されました。
◎参考文献
『コンサイス日本人名事典』(三省堂)
『後藤新平』全4巻(鶴見祐輔・編著/後藤新平伯傳記編纂会)
『後藤新平伝』(星亮一/平凡社)
『小説 後藤新平』(郷仙太郎/学陽書房)
『時代の先覚者・後藤新平1857-1929』(御厨貴・編/藤原書店)
『後藤新平』全4巻(鶴見祐輔・編著/後藤新平伯傳記編纂会)
『後藤新平伝』(星亮一/平凡社)
