近藤真琴(こんどう・まこと)
天保 2年(1831)
明治 19年(1886)
江戸 明治
洋楽者 教育者
「福沢・近藤両翁学塾跡」の碑
芝新銭座町
浜松町1-13-1

攻玉社 福沢諭吉 吉井勇
天保2-明治19(1831-1886)。洋学者、教育者。蘭学や西洋近代の数学、航海術、測量術を学び、文久3年(1863)攻玉社の前身となる蘭学塾を開塾。塾や兵部省海軍操練所で教鞭を執り、多くの海軍士官を養成しました。明治8年(1875)日本最初の航海測量習練所(商船学校)を設置。日本初のかな書き辞書『ことばのその』や翻訳SF第1号『新未来記』を手がけたことでも知られています。
慶應義塾から攻玉社へ、芝新銭座(しばしんせんざ)に開かれた教育の場
江戸四ッ谷坂町の鳥羽藩邸内に開いた蘭学塾は、のちに築地の兵部省海軍操練所内に移されて攻玉塾となり、さらに明治4年(1871)芝新銭座(現・浜松町)の慶應義塾跡へ移転。翌年、改めて攻玉社として開学しました。福沢諭吉は1300余両を費やして手に入れた新銭座の土地と建物を、同じ教育者の立場からわずか300両で近藤真琴に譲ったといわれますが、大正に入って品川区西五反田の現在地へ移転しました。港区立の旧神明小学校敷地内には、この福沢・近藤両翁学塾跡が都旧跡の碑として残されています。当時の攻玉社は海軍士官予備校の色合いが強く、海軍大将15名、うち連合艦隊司令長官4名を送り出し、大臣も8人輩出。太平洋戦争終結時の総理大臣・鈴木貫太郎もその1人で、ほかに日銀総裁三島弥太郎、歌人吉井勇などがいます。
◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『港区史跡散歩』(学生社)
『江戸・東京歴史の散歩道3』(街と暮らし社)
「福沢・近藤両翁学塾跡」の碑(浜松町1-13-1)
『君ノ居場所』(近藤真琴/新風舎)
『遠くの空』(近藤真琴/日本図書刊行会)

『夜明けの潮 近藤真琴の教育と子弟たち』(豊田穣/新潮社)
