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コンドル関連写真

コンドル(Conder, Josiah)

  • 生年
嘉永 5年(1852)
  • 没年
大正 9年(1920)
  • 活躍年代
明治 大正
  • 職業
建築家
  • ゆかりの地
綱町三井倶楽部
  • 旧地名
芝三田綱町
  • 現地名
三田2-3-7地図を表示

  • キーワード
開東閣 片山東熊 河鍋暁斎


  • プロフィール
嘉永5-大正9(1852-1920)。イギリス出身の建築家。明治10年(1877)工部省顧問・工部大学校(現・東大工学部)教師として来日。以後、日本に永住し、前波くめと結婚。西洋建築を体系的に指導し、辰野金吾、片山東熊といった近代建築家を育てるとともに、自らも東京帝室博物館、鹿鳴館、ニコライ堂といった数多くの名建築を残しました。67歳で東京で没しました。

  • 港区とのかかわり
日本に深く根を下ろし美しい洋館を多数残した異国の建築家

コンドルは、明治政府のお雇い建築家として来日し、設計・建築教育両面で活躍、“日本近代建築の父”と呼ばれています。鹿鳴館やニコライ堂を手がけたあとも財界関係者らの邸宅などを多数設計。高輪の開東閣は明治41年(1908)三菱財閥の2代目岩崎弥之助の邸宅として、三田の綱町三井倶楽部は大正2年(1913)三井財閥の賓客接待用として建てられました。

前者はエリザベス王朝風のルネサンス様式、後者は優美な曲線と多様な装飾を用いたバロック風で、財閥の“迎賓館”建築の双璧をなしています。ともに一般公開されていません。工部省時代は麻布今井町の官舎で暮らし、絵師河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい)に弟子入りするほど日本文化に傾倒し、晩年は麻布三河台町の自邸で薔薇園の手入れをしながら過ごしました。日本を愛し趣味に生きた人でもありました。

◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『港区史跡散歩』(学生社)
『江戸・東京歴史の散歩道3』(街と暮らし社)

  • 著作
『日本のいけばな(英文)』(講談社)
『日本庭園入門』(講談社)
『美しい日本のいけばな』(ジョサイア・コンドル著・工藤恭子訳/講談社)
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  • 関連出版物
『鹿鳴館を創った男~お雇い建築家ジョサイア・コンドルの生涯』(畠山けんじ/河出書房新社)
『鹿鳴館の夢 建築家コンドルと絵師暁英』(藤森照信・鈴木博之監/INAX出版)
『明治洋風宮廷建築』(小野木重勝/相模書房)
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