佐野常民(さの・つねたみ)
文政 5年(1822)
明治 35年(1902)
江戸 明治
武士 政治家
日本赤十字社
芝大門1-1-3

有栖川宮熾仁親王 博愛社
文政5-明治35(1822-1902)。武士、政治家。佐賀藩士の家に生まれ藩医佐野常徴(つねみ)の養子に。医学、蘭学、化学などを学び、文久3年(1863)海軍取調方付役として日本初の蒸気船を製造。ヨーロッパ視察後、新政府で海軍創設に尽力、大蔵卿、元老院議長、枢密顧問官、農商務相を歴任しました。また西南戦争の際に設立した博愛社は後に日本赤十字社と改称され、初代社長に就任、伯爵に叙せられました。
人道と博愛に基づいた救護組織の確立を実現
博愛社は明治10年(1877)2月に勃発した西南戦争がきっかけとなって誕生しました。この戦争で多数の死傷者が出ていることを知った佐野は、同じ元老院議官の大給恒(おぎゅう・ゆずる)とともに、ヨーロッパの赤十字にならった救護団体「博愛社」の設立を政府に願い出ます。しかし「敵味方の差別なく救護する」という趣旨は受け入れられませんでした。そこで、政府軍の総指揮官・有栖川宮熾仁親王に直接に願いを訴え、許可を得て、救護活動が開始されました。
明治20年、博愛社は日本赤十字社に改称され、国際赤十字の一員として発展していきます。事務所と病院は当初、麹町区飯田町にありましたが、事務所は大正元年(1912)芝区芝公園(現・芝大門)へ、病院は明治半ばに東京府豊多摩郡渋谷村の御料地(現・渋谷区広尾4丁目)へ移転し、それぞれ日本赤十字社本社、日本赤十字社医療センターとなって現在に至っています。
◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『近代日本の先駆者』(日外アソシエーツ)
『日赤の創始者 佐野常民』(吉川弘文館)
赤十字情報プラザ(芝大門1-1-3・日本赤十字社本社)
佐野常民の墓(南青山2丁目・青山霊園)
『佐野常民伝~海軍の先覚日本赤十字社の父』(本間楽寛/時代社)
『日赤の創始者 佐野常民』(吉川龍子/吉川弘文館)
『火城~幕末廻天の鬼才・佐野常民』(高橋克彦/PHP文庫)
