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志賀直哉(しが・なおや)

  • 生年
明治 16年(1883)
  • 没年
昭和 46年(1971)
  • 活躍年代
大正 昭和
  • 職業
作家
  • ゆかりの地
志賀直哉の実家
  • 旧地名
麻布三河台町
  • 現地名
六本木4-3-13地図を表示

  • キーワード
青山霊園 網野菊


  • プロフィール
明治16-昭和46(1883-1971)。作家。明治43年(1910)武者小路実篤らとともに『白樺』を創刊。『網走まで』『大津順吉』などの作品により、優れた短編小説家として知られるようになりました。無駄のない的確なリズムの文章は、小説の文体の1つの理想と見なされ、網野菊をはじめ、志賀直哉を師と仰ぐ作家を数多く生み出しました。唯一の長編小説である『暗夜行路』は近代日本文学の傑作の1つとされています。

  • 港区とのかかわり
麻布の屋敷で父との葛藤を経験

明治30年(1897)、14歳のときに麻布三河台町に移り住んだ直哉は、29歳までの15年間をここで過ごしています。父直温(なおはる)が事業の成功で手にした、雑木林に囲まれた1682坪の広大な屋敷で、「網走まで」「剃刀」などの優れた短編小説を著しました。

作家になることに反対していた父との間には確執が生まれ、大正元年(1912)には家を出て尾道に移り住みます。その後、武者小路実篤の従姉妹と結婚して我孫子へ転居。大正6年『城の崎にて』を発表後に父との不和は解消され、それをテーマに『和解』という小説が書かれました。

昭和46年(1971)に永眠。青山葬斎場での葬儀は本人の遺言によって無宗教で行われました。

◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『東京10000歩ウォーキング』No.7(籠谷典子・編著.真珠書院)

  • ウォーキング・ポイント
志賀直哉の墓(南青山2-32-2・青山霊園)

  • 著作
『小僧の神様・城の崎にて』(新潮文庫)
『暗夜行路』(新潮文庫)
『和解』(新潮文庫)
『清兵衛と瓢箪・網走まで』(新潮文庫)
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  • 関連出版物
『志賀直哉』(上・下)(阿川弘之/新潮文庫)
『志賀直哉の人と作品』(阿川弘之編/学習研究社)
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