このページの先頭です 写真資料へ移動 キーワードデータへ移動 プロフィールへ移動 港区とのかかわりへ移動 ウォーキングポイントへ移動 著作へ移動 関連出版物へ移動 港郷土資料館収蔵資料へ移動 末尾メニューへ移動



『筑摩現代文学大系 40』(筑摩書房)より
網野 菊関連写真
『筑摩現代文学大系 40』(筑摩書房)より

網野 菊(あみの・きく)

  • 生年
明治 33年(1900)
  • 没年
昭和 53年(1978)
  • 活躍年代
大正 昭和
  • 職業
作家
  • ゆかりの地
網野菊の墓(青山霊園)
  • 現地名
南青山2-32-2・青山霊園地図を表示

  • キーワード
青山霊園 志賀直哉 私小説


  • プロフィール
明治33-昭和53(1900-1978)。作家。志賀直哉に師事し、志賀の推薦を受け、大正15年に短編集『光子』を刊行しました。結婚生活のため創作活動は中断されましたが、離婚後3年目の昭和15年(1940)に短編集『汽車の中で』でカムバック。終戦後は『金の棺』『さくらの花』などの作品で女流文学賞や文部省芸術選奨などを受けています。寡作ですが、身辺を題材にした私小説作家として活躍しました。

  • 港区とのかかわり
赤坂で過ごした多感な少女期が私小説の基盤に

麻布狸穴町に生まれ、赤坂で育ちました。父・亀吉は馬具製造販売業を営んでおり裕福でしたが、菊が赤坂尋常小学校に入学した年に実母・ふじのとは離別しています。その後、3人の継母との生活を経験し、継母たちとの折り合いは悪くなかったものの、2番目、3番目の継母が相次いで病気で亡くなるという悲運に遭遇しています。

多感な少女時代を複雑な家庭環境で送ったことは、私小説作家としての資質を育むことになりました。短編小説『ゆれる葦』では小学5年まで過ごした赤坂の街の様子や実母との別れについて述べています。自身の結婚生活も8年でピリオドが打たれましたが、生涯の師と仰いだ志賀直哉とは家族ぐるみの交際が終生続きました。網野家の墓碑は志賀直哉と同じ青山霊園にあります。

◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『コンサイス日本人名事典』(三省堂)
『石蕗の花網野菊さんと私』(広津桃子/講談社)

  • ウォーキング・ポイント
網野菊の墓(南青山2-32-2・青山霊園)

  • 著作
『一期一会・さくらの花』(講談社文芸文庫)
『ゆれる葦』(講談社文芸文庫)
『雪晴れ 志賀直哉先生との思い出』(皆美社)
著作を検索

  • 関連出版物
『あなたみたいな明治の女』(群ようこ/朝日文庫)
関連出版物を検索