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司馬江漢(しば・こうかん)

  • 生年
延享 4年?(1747)
  • 没年
文政 元年(1818)
  • 活躍年代
江戸
  • 職業
画家 蘭学者
  • ゆかりの地
愛宕神社
  • 旧地名
芝愛宕町
  • 現地名
愛宕1-5-3地図を表示

  • キーワード
蘭学者


  • プロフィール
延享4?-文政元(1747-1818)。画家・蘭学者。幼少時から絵がうまく、18歳頃に浮世絵師・鈴木春信に入門。明和7年(1770)の春信急逝後は2代目春信を襲名し、錦絵を描いていましたが、翌年、漢画家の宋紫石(そう・しせき)に入門して浮世絵とは違った新様式の写実的漢画を学び、「江漢」の号を用いるようになりました。その後平賀源内の影響を受け洋風画を志し、また天明3年(1783)には日本最初の腐食銅版画(エッチング)を制作。画業以外でも大槻玄沢ら蘭学者との交遊、長崎遊歴など西洋学問に関心をもち、天文地理学の著作を著すなど、進取の気概をもった自然科学の啓蒙家としての役割も果たしました。

  • 港区とのかかわり
住み慣れた「芝」にちなんで「司馬」と名乗る

幼少時より芝新銭座(現・東新橋)に住み、晩年までのほとんどの時期を過ごしました。漢画を学び始めた頃、画姓を居住地の「芝」にちなんで「司馬」としました。寛政8年(1796)、右前景に漁夫夫婦、中景に江ノ島、遠景に富士山を描いた写実的な油彩画「相州鎌倉七里浜図」を芝・愛宕神社に奉納しています(現・神戸市立博物館蔵)。

◎参考文献
『コンサイス日本人名事典』(三省堂)
『新潮日本美術文庫15 司馬江漢』(岡泰正/新潮社)

  • 関連出版物
『画人司馬江漢の研究』(河西万文/岩森書店)
『司馬江漢の研究』(朝倉治彦/八坂書房)
『司馬江漢考』(中野好夫/新潮社)
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