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(下)アチック・ミューゼアム(昭和12年頃)  所蔵:渋沢史料館
渋沢敬三関連写真
(下)アチック・ミューゼアム(昭和12年頃)  所蔵:渋沢史料館
渋沢敬三関連写真
(下)アチック・ミューゼアム(昭和12年頃) 所蔵:渋沢史料館

渋沢敬三(しぶさわ・けいぞう)

  • 生年
明治 29年(1896)
  • 没年
昭和 38年(1963)
  • 活躍年代
昭和
  • 職業
実業家
  • ゆかりの地
アチック・ミューゼアム
  • 旧地名
芝三田綱町
  • 現地名
三田2丁目地図表示不可

  • キーワード
宮本常一 民俗学


  • プロフィール
明治29-昭和38(1896-1963)。実業家。民俗学の後援者。渋沢栄一の嫡孫として生まれ、後継者となるべく経済人としての道を歩むかたわら、戦前から民俗学と生物学の研究を続け、日本全国の民具などを収集して自宅敷地内に「アチック・ミューゼアム」を設立しました。日銀総裁、蔵相などを歴任する一方、日本民族学協会、日本人類学会の会長も務め、日本民俗学の発展に多大な貢献を果たしました。

  • 港区とのかかわり
三田の自邸を民俗学コレクションの拠点に

渋沢栄一が深川に建てた渋沢邸は、明治42年(1909)三田綱町(現・三田2丁目)に移されました。最初、敬三はその裏庭に建てられた物置小屋の屋根裏に陳列棚を置き、自分や友人が集めた化石や動植物の標本、旅行のみやげ物などのコレクションを並べていましたが、のちに大正10年(1921)「アチック・ミューゼアム・ソサエティ」という学術同好会を結成し、本格的な郷土玩具の収集を始めました。

昭和初期頃から玩具に代わって民具=民俗品の収集・研究が本格的に行われるようになり、昭和5年(1930)には発祥地の物置小屋跡に木造2階建てを新築して全国各地の貴重なコレクションを収めました。アチック・ミューゼアムはのちに「日本常民文化研究所」と名を変え、宮本常一ら多くの優秀な研究者を輩出するとともに、昭和49年(1974)に創設された国立民族学博物館の原形ともなりました。

◎参考文献
『朝日人物事典』(朝日新聞社)
『図説 大正昭和くらしの博物誌-民族学の父・渋沢敬三とアチック・ミューゼアム』(河出書房新社)

  • 著作
『渋沢敬三著作集』(平凡社)
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  • 関連出版物
『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』(佐野眞一/文藝春秋)
『渋沢家三代』(佐野眞一/文春新書)
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