高野長英(たかの・ちょうえい)
文化 元年(1804)
嘉永 3年(1850)
江戸
蘭学者 医師
高野長英終焉の地
青山百人町
南青山5-6-23

蘭学者
文化元-嘉永3(1804-1850)。蘭学者、医師。長崎でシーボルトにオランダ医学を学び江戸で開業。渡辺崋山らとともに蘭学の研究団体である尚歯(しょうし)会を結成し、西洋文化の研究を深めました。幕府の対外政策を批判した著書『夢物語』で6年間投獄されますが、獄吏を買収して放火させ脱走。各地を潜行したのち江戸に舞い戻って隠れ棲むものの、ついに捕方に包囲され死亡しました。
亡くなる直前まで過ごした青山百人町の隠れ家
顔を薬品で焼いて人相を変え各地を転々とした長英は、やがて江戸に戻り、嘉永3年(1850)3月に青山百人町に隠れ棲みます。ここは幕府の与力や同心の組屋敷が集中していたところで、与力小島家には質屋伊勢屋の離れがありました。長英は沢三伯などと変名し、そこで医業を営みます。
しかし、同年10月晦日の夕暮れ、出先から戻った小路で幕吏に襲われ死亡。現・南青山の終焉の地には、「高野長英先生隠れ家」と刻まれた石碑が立っています。名誉が回復されたのは没後48年たってからのことで、正四位が授与され、北青山の善光寺には勝海舟の撰文による顕彰碑がつくられました。天保8年(1837)米船モリソン号の撃退事件を受けて、開国の必要を説いた『夢物語』を著し、逃亡中もなお蘭書の翻訳に励み『医療枢要』などの訳著書を残した長英。優れた蘭学者であり先覚者でありながら、その生涯はあまりにも不遇でした。
◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『東京10000歩ウォーキング』No.7(籠谷典子・編著/真珠書院)
『港区史跡散歩』(俵元昭/学生社)
『江戸・東京歴史の散歩道3』(街と暮らし社)
高野長英終焉の地(南青山5-6-23・スパイラルホール)
高野長英の顕彰碑(北青山3-5-17・善光寺)
『高野長英全集』(高野長英刊行会編/第一書房)

『堂々日本人物史13~戦国・幕末編 高野長英』(筑波常治/国土社)
『高野長英』(佐藤昌介/岩波書店)
『科学者高野長英 』(須川力/岩手出版)
『高野長英』(鶴見俊輔/朝日選書)
