高橋是清(たかはし・これきよ)
安政 元年(1854)
昭和 11年(1936)
明治 大正 昭和
政治家
高橋是清記念公園
赤坂表町
赤坂 7-3-39

増上寺 2.26事件
安政元-昭和11(1854-1936)。政治家。11歳の時横浜のヘボン塾で英語を学び、14歳で藩の留学生として渡米しますが、手違いで奴隷に売られ、苦労の末明治元年に帰国。その後職業を転々とした末、語学力を買われて、文部省、農商務省などに勤めます。明治44年(1911)には日本銀行総裁に就任。大正2年(1913)からは内閣の蔵相を歴任しました。「ダルマ宰相」の愛称で親しまれましたが、昭和11年(1936)インフレを抑えるために軍事予算を縮小しようとしたことが軍部の恨みを買い、2月26日赤坂の自宅で青年将校たちに暗殺されました(2・26事件)。
晩年の30年余を過ごした自邸が記念公園に
増上寺中門前で生まれた是清は、11歳まで芝愛宕下の仙台屋敷で暮らし、明治35年(1902)から亡くなるまでを赤坂の自邸で過ごしました。自伝には、明治35年の元旦に「この日、かねて赤坂表町に新築中の新宅が、玄関および廊下を除いて、ほぼ落成したので、邸内の旧家からその方へ引越した」と記されています。2・26事件の舞台ともなった自邸跡は、現在は高橋是清翁記念公園となり、是清の銅像とともに池や石灯籠、樹木などのある、青山通りの憩いの場となっています。
◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『地球人ライブラリー高橋是清伝』(小学館)
高橋是清翁記念公園(赤坂 7-3-39 )
『高橋是清 立身の経路 人間の記録』(日本図書センター )
『高橋是清自伝』(上・下)(中公文庫)
『高橋是清随想録』(本の森)

『高橋是清 財政家の数奇な生涯』(大島清/中公新書 )
『生を踏んで恐れず 高橋是清の生涯』(津本陽/幻冬舎文庫 )
『棺を蓋いて事定まる 高橋是清とその時代』(北脇洋子/東洋経済新報社)

臼井哲夫・清水辰三郎宛書簡、前田市子宛書簡(名家書簡の内)