武内桂舟(たけうち・けいしゅう)
文久 元年(1861)
昭和 17年(1942)
明治 大正 昭和
挿絵画家
紅葉館
芝公園
芝公園4-2-8

巌谷小波 尾崎紅葉 おとぎ絵 『金色夜叉』
文久元-昭和17(1861-1942)。挿絵画家。狩野正信(かのう・まさのぶ)、月岡芳年(つきおか・よしとし)に絵を学び、明治20年(1887)ごろから小説の挿絵を描き始めました。硯友社の尾崎紅葉や川上眉山らの小説の挿絵を手がけ、とくに当時の人気作家だった紅葉の小説には桂舟の挿絵が付き物といわれました。明治24年、同じ硯友社同人の巌谷小波のおとぎ噺『こがね丸』に挿絵を描いたのをきっかけに、後年は児童雑誌にも日本画調のおとぎ絵を多数描きました。
紅葉館に出入りし、挿絵画家として人気を博す
代表作『金色夜叉』の挿絵を描くなど、桂舟は尾崎紅葉とは深い交流があり、「女性観察は紅葉館に限る」という紅葉を先陣に巌谷小波、石橋思案、川上眉山ら硯友社の同人たちと芝公園の高級料亭「紅葉館」に度々足を運びました。読売新聞の初代社長・子安峻らによって明治14年(1881)に建てられた紅葉館の進歩的な雰囲気は、若い文士、画家の集まった硯友社の気風とよく合っていたようです。
◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『日本の童画1武内桂舟/川上四郎/本田庄太郎』(第一法規)
『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』(坪内祐三/マガジンハウス)
『小説新潮』1959年6月号
『日本の童画家たち』(くもん選書)
『美妙、消えた。』(嵐山光三郎/朝日新聞社)
