有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや・たるひとしんのう)
天保 6年(1835)
明治 28年(1895)
江戸 明治
皇族 政治家 軍人
有栖川宮記念公園
盛岡町
南麻布5-7-29

旧芝離宮恩賜庭園
天保6-明治28(1835-1895)。皇族、政治家、軍人。有栖川宮幟仁(たかひと)親王の第1王子。17歳のときに当時6歳の皇女和宮と婚約しましたが、のちに和宮は「公武合体」の目的で14代将軍家茂と結婚させられてしまいます。熾仁親王が反幕府・尊王攘夷派となったのは、この婚約破棄がきっかけとも言われています。国事御用掛に任命されましたが、禁門の変ののち失脚。王政復古後は新政府の総裁となり、戊辰戦争では東征大総督に就任して、江戸城を無血開城させました。
有栖川宮記念公園に騎馬像が
有栖川宮熾仁親王の銅像は、南麻布の有栖川宮記念公園内の丘上の広場にあります。ここはもともと浅野家の下屋敷があったところで、のちに盛岡藩南部美濃守の屋敷になり、明治29年(1896)に皇族有栖川宮家の御用地になりました。熾仁親王はここで晩年を過ごす予定でしたが、居住することなく亡くなりました。熾仁親王の騎馬像は明治36年(1903)旧参謀本部構内に建立されましたが、昭和37年(1962)親王とゆかりの深いこの公園に移設されました。
旧芝離宮恩賜庭園も有栖川宮とはゆかりのある公園であり、明治5年(1872)から3年 間、同庭園は熾仁親王のものでした。
◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
有栖川宮記念公園(南麻布5-7-29)
旧芝離宮恩賜庭園(海岸1-4-1 )
『有栖川宮記念公園』(前島康彦/郷学舎)
